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台場クヌギ信仰の大嘘を暴く - 1

山はエネルギー資源
 その昔、日本では燃料を山の資源に依存していました。「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に……」このようなむかしばなしの冒頭にも出てくるように、柴・薪・炭が燃料の生命線でした。
 なので、山持ちは裕福だったし、そうでない村人には、村の共同体で所有管理する山で入り会い地制度があった。また、地主の委託で山を管理する代わりに薪炭材を分けてもらったりと、昔の日本人にとって、山は大切な資源の宝庫だったので、長年に渡り、人の手によって手入れされていたのです。
 そのような時代、京都をはじめ近畿地方では着火用に柴材(ツツジ・リョウブなど)がよく利用されていて、アカマツは松明に、薪や炭にはコナラ・クヌギ・アベマキが重用されていました。中でも、クヌギは火保ちがダントツに良いので高級品扱いだったそうです(里山の古老談)。里山には主に上記の樹種が植林・伐採管理されていました。例えば、京都市内の里山環境では今でもその名残りのような環境が残存している山が幾つかあります。斜面の麓部には低木のツツジとリョウブが繁茂し、項部にはコナラやクヌギが、更に尾根から山頂にアカマツが。という具合です。そんな具合の里山は京都市内には実に多いのです。

台場仕立てとは
 さて、本題の、オオクワガタを育む樹種と言われて有名でもある、台場クヌギというやつですが、「台場仕立て」という栽培手法は、古くその起源は平安時代に遡るらしく、そもそもはスギ材で行われていたのだそうです(樹齢数百年の台場スギというやつが有名です)。要するに、利用可能な材を一度により多く採取するための技法です。この技法が代々受け継がれ、他の樹種にも応用された一つが台場クヌギです。中でも、クヌギは特に萌芽再生能力に秀でて早いことから、若い枝葉は「刈敷」という田畑の肥料に、そして、常に高需要である燃料用には、ある程度育った幹を伐採して薪材、炭として利用していたわけです。

里山は100%人工林
 当然ながら、これらは当時、日常的に必要なエネルギー資源ですから、頻繁に伐採管理されていました。だいたい15年、遅くとも30年サイクルで伐採・植林が繰り返されていたそうです。また、それらの枯死材は乾燥して火付きが良いので珍重されていたのだそうで、見つけたら即採取されていたそうです。はい、ここで「……ちょっと待てよ……」と思われた方、お察しがよろしいです。そうです、おかしいんです、それって。そんな早い管理サイクルだと、クワガタ・フリークが御神木なんて呼ぶクヌギの大木は育たないし、台場クヌギは在っても主幹は太くなく、それでは大きな洞や捲れはできやしない。昔の里山管理のクヌギやコナラの林は若木が常態だったのです。それに加えて、枯死材まで人に根刮ぎ持ち去られて燃料にされてたんだから、樹液木は在ったとしても次世代を育む腐朽産卵材が無い。昔の里山には台場クヌギは在っても、オオクワガタを育む材なんて無きに等しかったのです。
 実際、過去近年にオオクワガタがよく採取された台場クヌギというのは、かなりの老木です。本来、薪炭材としてはとうの昔に利用・運用終了済みの、里山の人々には見捨てられた木々です。これらのオオクワガタが採取可能と認識されている現存する台場クヌギの類は、わたしの見立てではおそらく樹齢60~80年くらいで、昭和の初期~中期に植林されたものだと思います。これより古い樹齢100年を超える古木クヌギは滅多に里山ではお目に掛かれません。この実態は、郊外の宅地開発が急速に進行し、最早、薪炭林としての里山の利用価値が完全に失われ、管理放棄され始めた時代に完全に符号合致します。

わたしの仮説、というか、大胆に断言
 本来、ワイルド・オオクワガタの住処はもっと山深い別の処に在ったんです。それが、人工的に植林された薪炭林のクヌギ林が野放しで放置されたことで好適環境化し、奥山から里山に住み着いた。これが真相ではないでしょうか。つまり、オオクワガタが人里である里山で繁殖するようになったのは、高々、ここ数十年のことなんです。大昔から台場クヌギに居たのではない。これはもう、絶対にない! だって、昔の里山では落ち葉までもが悉く資源化されてたんですよ? あまりにも樹々が伐採され尽くし、裸地化さえしていた山でさえも当時は珍しくはなかったんです!
 環境破壊だの、自然保護だの、地球環境破壊バイアスが強力に掛かっている現代人のわたしたちですが、これらの問題は、あの悪法の「レジ袋有料化」に代表される、ちぐはぐで無意味な発想で納得してしまえる思考停止による思い込み——洗脳——のようなものではないでしょうか。レジ袋を無くしたって、スーパーで買い物をした食料品のパッケージは全部プラスティック包装のままで何も変わってないじゃないか!

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