文車妖妃・一


文車妖妃

歌に、いにしへの文見し人のたまなれやおもへばあかぬ白魚しみとなりけり
かしこきひじりのふみに心をとめしさへかくのごとし
ましてや執着のおもひをこめしたばたまづさには、かかるあやしきかたちをも あらはしぬべしと、夢の中におもひぬ

鳥山石燕『百器徒然袋』より



 それはきっと、執着なのだ。
 私───あおいすずは、そう考えた。
 愛とか恋とか、そういうものとは違う。
 それらはあくまで執着の一種に過ぎない。
 私はただ、胸中に宿った呼称を知らぬ別種の執着を、恋愛感情と見誤ったに過ぎなかったのだろう。

 狭いながらも不自由の無かった、四畳半の自室に私は居る。
 文机ふづくえに両肘をつき、上半身の重みを預ける。天板と胸の間に、湿気を濃く帯びた不快な空気がべたりと滞留する。ひどく鬱陶しいが、動く気にもなれない。どうせこの季節は、何処に居てもそうなるのだ。
 外も内も───暑く湿っぽく、居心地が悪い。
 生温く重たい空気が布地の下の素肌を覆う。衣服ではなく、湿気を纏っている。性質の合わぬ物に無理やり貼り合わされているようで、無性に心が苛立つ。
 ただでさえ、穏やかでは居られぬというのに。
 この陰惨な心持ちすらこの温度と湿度に輪郭をかされ、有耶無耶な不快感へと成り下がってゆく。
 やはり、動く気になれない。
 日は傾いているのに、電灯も点けていない。俯いた視界にも薄闇が侵食している。一面に広がった年季の入った木目が、形を失って───
 そうだ。
 夕靄の中から、忘れていた考えが浮上する。
 私は突っ臥したまま、ほんの数度だけ首を右へ傾けた。
 視界がほんの数センチ動いて、右膝の隣───文机の抽匣ひきだしが入ってくる。
 ここだ。
 この中に私の、執着が在る。
 誰の目にも触れることの無かった感情が。
 もう───きっとこれから先もあるまい。

 今日見ずして、いつ誰が見ようというのか。
 私は身体を僅かに起こし───


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