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プロ舟券師が語る,水原一平の真理とギャンブル中毒の恐ろしさ

あれはいつだったかな。俺が競馬を知って間もない頃だから東日本の大震災より少し前か。

当時の俺は起業家として日本各地に飛び回って人脈を作ることに必死だった。世の中ビジネスなんてのは人脈が命なんだからそれはそれは大変だったさ。

どれだけ良いモノを作っても、どれだけ良いサービスを生み出してもそれに興味を持ってくれる人がいなければ価値は無い。それどころかそのモノやサービスを人に知ってもらうことすら難しいのが現実。

実際に有名なハイブランド品なんかは売値の半分以上が広告費だったりなんてザラにあるんだ。これも人に商品を知ってもらったり人脈を作るための必須経費なんだよな。

当時の俺は仲間も多くいて仕事が順調だったから同年代のサラリーマンたちに比べても金はあったと思う。今思えばそれが地獄を目の当たりにする原因だったのかも知れない。

俺も若かったから仕方無かったと思うけどな。

自分の中で座右の銘みたいなもんがある。うまく言えないけどそれが『自己犠牲』って感じでな、聞こえは良くないけど俺にみんなが付いてくる理由はこれなんだと思うよ。

たとえば仲間に関しては絶対に守り抜くって心に決めてたし、大変な仕事やみんながやりたがらない業務は必ず率先して引き受けていた。出張先で仲間が体調を崩せば保険が効かずかなりの出費になることがあるが構わない。人を金で守れるなら俺はいくらでも払うさ。強い経営者ってのは、自分一人では何事も上手くいかないことが分かってる。
自分の周りの人間を守れない経営者ならサラリーマンやってれば良いとさえ思うよ。

こんな俺だったからか仕事はずっと上手くいってたな。そして地獄に落ちた。

ある日、経営者の友人と人生初の競馬をやってみることになったんだ。向かった先は中京競馬場で、当時はなんの競走だったかも分からない。
馬の名前も知らなければスタートとゴールの位置も分からなかった。

言うまでもないが競馬なんてのは完全なギャンブルで、あれを当て続けて飯を食ってくことは不可能だと思う。第一走る馬の数が多すぎるんだよな。16頭も一斉に走る中の3連単何てのは男のロマンそのものだ。

そして俺はやっちまった。
人生初の馬券が万馬券的中というミラクルだったんだよ。何もかも順調だった俺は初めから万張りだったから4本の帯を持って帰ったのを覚えてる。そして地獄門を潜っちまった訳だ。

間もなくして1人で競馬場に行った日はビギナーズラックは発動せず惨敗した。とは言っても100万円負けで済んだ。さすがに人生2回目の競馬で初めに勝った400万を溶かすってことは無かったな。でもその日、俺の中のセーフティラインは完全に麻痺したんだと思う。

当時俺の馬券ってのは、1着に人気の馬をおいて2着に人気薄の馬、3着にまた人気の馬で挟む感じの常に高配当狙いの買い方だった。

そして事件は起こる。
人生3回目の競馬は少し日を置いてからだった。俺は何を血迷ったのか全財産の1,900万円を持って中京競馬場にいた。俺の中のギャンブル魂が目覚めていたのかも知れない。

残念ながら何レース勝負したのかも覚えてない。ただひたすら高配当に10万円ずつ張って毎レース300万円前後の勝負だったのは覚えてる。当たれば必ず1000万円以上になる買い目だった。最後の500万円になった頃には泣きながら大便を漏らしたのを覚えてる。
行き着いた先は単勝だったが500万円全ツした人気の騎手が落馬した。

そこまで追い詰められた俺だからこそ水原一平さんの気持ちが何となく分かるんだよ。
ギャンブル中毒ってのは1900万だろうと7億だろうと関係ない。自分にとって取り返しのつかない額を賭けたい衝動に駆られる。

これがギャンブル中毒の恐ろしさだ。
ただ、俺はたまたまそのショックをバネに変え仕事にぶつけて結果を出すことができたから今こうしてプロ舟券師として活躍できている。

当時は建設業やキッチンカー、イベント主催など沢山の事業に専念していたんだけど、気付いちまった。俺は全然本気を出していなかったことに。
貯金を無くしてからは仕事に全身全霊をかけ没頭したのもあってそれ以上の額の売上がすぐに出来てしまってある意味成功のきっかけになったんだよ。

そこから何故プロ舟券師となるかは今回は省くけど、今の俺がもし負け続けたとしても取り乱してレートを上げたり無謀な勝負をすることもない。だからかれこれ何年も舟券での生活が続いている。

俺にとってギャンブルは成功のカギだった訳だが水原さんにとってもそうであると心から願いたい。

サポートいただける場合はX(旧Twitter)にてお礼をさせて頂く場合がある^^ 後悔はさせない。 俺はお前たち全員を勝たせるだけ。