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サッカー観戦客のための立ち寄り嵯峨野線観光ガイド-後編-

 京都サンガF.C.の新スタジアム「サンガスタジアムbyKYOCERA」のある亀岡駅まで、京都駅から途中下車して立ち寄れる観光スポット紹介の後編。駅から徒歩10分以内…と言ったが、あれは嘘だ。

⑥太秦駅

→徒歩15分
 蛇塚古墳 [外から見るだけ/無料]

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 6駅目にして「駅から徒歩10分以内」という前提条件を破ってしまった…。ここは嵐電の線路を越えた先の住宅街のど真ん中で、地図アプリなしで迷わず行ける人は天才というほどの隠れスポットぶり。奈良の石舞台古墳と同じく石室剥き出し系のこの古墳、古代に京都盆地を開拓した秦氏一族の首長クラスの墓ではないかと考えられている。そう、太秦という地名自体が秦氏に由来する。嵐電で一駅お隣にある広隆寺も秦氏の氏寺。観光地でいえば伏見稲荷大社も秦氏の氏神。ちなみに蛇塚古墳の北側には松竹の撮影所があり、界隈にはどことなく昭和でシネマな雰囲気が漂うが、映画製作が下火になって風情は失われつつある、らしい。

⑦嵯峨嵐山駅

→徒歩10分
 天龍寺 [8:30~17:00/500円]

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 嵯峨嵐山駅は、観光地もよりどりみどり。京都五山(グレートな禅寺)1位の天龍寺、縁結びの野宮神社、竹林の道あたりなら駅から歩いても10~15分ほど。渡月橋は20分くらいか。線路の北側へ足を伸ばせば常寂光寺、二尊院、清凉寺、大覚寺など人気観光地がうなるほどある。とりいえずこのエリアを集中的に観光して亀岡へ、というプランが一番効率的(今まで紹介したのは何だったんだ…)。なかでも天龍寺の曹源池庭園(=写真)は一度は見ておいた方がいいお庭。室町文化を語る上で欠かせない夢窓疎石(むそうそせき)の作。池泉廻遊式ながら後の時代に主流になる枯山水っぽい石の使い方もあるし、嵐山自体を借景にしたりとか、とにかくスケールが壮大。禅僧たちはこの庭を修行に使ったそうな。ただし、朝イチに行かないと混雑する。紅葉シーズンは天龍寺に限らず、このエリアの観光地は避けた方が無難。紅葉シーズンは避けた方がいい。大事なことなので2度言った。

⑧保津峡駅

→スルー。ハイキング専用駅

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 トンネルとトンネルの間にある、いわゆる秘境駅。ホームの前の方&改札は亀岡市で、ホームの後ろよりは京都市という文字通りの秘「境」ぶり。駅を降りても山と川しかない。おもに水尾方面にハイキングに行く方が利用する。ちなみに水尾方面に登っていって途中で左の薮道に折れると、「明智越」という未舗装路がある。ここを辿れば亀岡まで出られるが、2年前の台風の倒木とかも残ってそう。明智越という名だけども、明智光秀が本能寺の変の時にこのルートを越えたという説は否定されている。「ときは今 あめが下知る 五月かな」の歌を詠んだ愛宕山へはこのルートを通って参籠したと伝わる。

⑨馬堀駅

→徒歩30分
 篠村八幡宮 [境内自由/境内無料]

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 駅から徒歩だと到底10分ではたどり着けないのだが、どうしても取り上げたかったスポット。規模的にも田舎によくある小さな村の神社だが、歴史が好きな人はピンとくるはず。ここは鎌倉幕府御家人だった足利高氏が後醍醐天皇に味方すると宣言して、幕府に叛旗をひるがえした場所だ。高氏は篠村を出発して六波羅探題(現在の京都国立博物館あたり)を急襲。鎌倉幕府は滅び、建武の新政がはじまる…という流れになる。亀岡で挙兵し、京都にいる権力者を急襲した点において、高氏の挙兵と明智光秀の本能寺の変はよく似た構図だ。ちなみに高氏(尊氏)が主人公だった大河ドラマ『太平記』と光秀が主人公の『麒麟がくる』は同じ脚本家・池端俊策氏の作。大河ドラマファンなら外せない。特に何もないけど、それがいい。

⑩亀岡駅

→徒歩10分
 亀山城跡 [要受付9:00~17:00/無料]

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 亀岡の町の中心はスタジアムとは逆、駅の南側にある。南口を出て正面に見える樹叢の丘が、亀山城跡。築城したのは時の人・明智光秀…なのだが、実をいうと明智時代の城の様子は不明らしい。城跡は現在、宗教法人大本の所有。見学したい場合は入って左手の立派な建物の受付で名前を書いて、そのあと右手の古い建物でお祓いを受けたあとに中に入れてくれる(何年か前はその手順だった)。石垣も縄張りも、間違いなく光秀時代のものではない。亀山城のベースは江戸時代初期の普請であり、明治の廃城令後に荒廃した…という予備知識があれば、無理して中に入ることもない城である。敷地内を歩いて人とすれ違う際には高確率で挨拶される。宗教って礼儀正しいナ。ちなみに亀岡の城下町は城のさらに南側。街道(山陰道)も城の南を通る。ブラタモリじゃないけど高低差に注目すると、昔の人は高い土地に住んでいたことがよくわかる。そして城跡から北は一気に土地が低まる。駅もスタジアムも、元々は保津川の氾濫原だったのだ。

 以上、前後編10駅分思うままに書いてきたが、取り上げたスポットの時代がいい感じにバラけてた(下記)。狙ったのではなく、これは偶然。

・古代  →蛇塚古墳(太秦駅)
・平安前期→神泉苑(二条駅)
・平安鎌倉→法金剛院(花園駅)
・南北朝期→篠村八幡宮(馬堀駅)
・室町前期→天龍寺(嵯峨嵐山駅)
・江戸初期→亀山城跡(亀岡駅)
・江戸後期→島原界隈(丹波口駅)
・近現代 →京都鉄道博物館(梅小路京都西駅)

 そして何よりもサンガスタジアム by KYOCERA自体が令和の新名所。スタジアムもじっくりと見学していってくださいな。


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