ひきこもり歴10年。マイストーリー①
なんとなく行ってみたい
「きょうちゃん!この日18:30~空いてない?」
「えええーーーっ!?そんな時間…」
自営業のお店は終わっているけど…
3人の子どもがいるし…
それにそんな夜遅く出かけるなんて…
普通は家族で夜ご飯の時間だし…
でも、なんだか行ってみたい!
「パパ(夫)に相談してみる!」
40歳目前の3男がもうすぐ1歳の出来事でした。
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たけむらきょうこです。
現在、3兄弟ママで
未来を自在に創るライフコーチとして、魂を解き放ち思い通りの「今」をつくる女性を応援しています。
そんな活動をしている私も前出にあるように、
「時間が…」「子供が…」「普通は…」
と結婚とともにガチガチの制限の中で生きていました。
張り詰めていた結婚生活の全貌
特に長男である夫が「6代目」だと知ってからは、妻としても、嫁としても、母としても、
自分でかけた得体のしれない”圧”に押しつぶされそうになりながら、
何でもやります!できます!と表向きは平気な顔で日々緊張しながら過ごしていました。
「緊張」は、今思えば…ですがね。
自営業のお店2店舗のパートを、朝8時から夕方6時までを週6日。保育園と自宅だけの往復の毎日。日曜日も隔週で営業していたので、週末お休みの夫と私のお休みが揃う日曜は、月に2日だけ。
お正月、GW、お盆には親戚との行事。地域の行事にも古くからの住民のため積極的に参加するのが当たり前でした。
楽しみといえば、実家のある秋田への帰省。
飛行機で行く距離なので、1年に1度だけ1週間の夏のバケーションでした。
さらに結婚2年目に授かった長男が重度の食物アレルギーっ子と判明。
肌が弱いため1歳半くらいになると、全身の痒みで毎晩眠れず泣きながら掻きむしり、夫婦ともに睡眠不足で普段穏やかな夫とも言い合いが起こる始末。
ただ痒くて眠れないだけなのに、寝不足の私はイライラMAXで怒ることしか出来なくて、親子共にこれは本当に辛い夜でした。
幸い紹介していただいた先生の漢方治療が合い長男の夜泣きはおさまり、
13歳になった今も肌は弱いですが自分でコントロールしています。
食物アレルギーの方は乳成分が全くダメなので、エピペン®というアナフィラキシーショック対応の薬を常備しています。
長男誕生から3年経ち、次男誕生。
稽留流産の後の妊娠と出産でした。
初めての二人育児は、あるあるの喜び2倍、忙しさ3倍で、まさにあっという間に1日が終わっていったのでした。
身体の異変
保育園に通う二人の育児と自営業のパート生活に慣れたころ、
私の身体に異変がやってきました。
突然下半身にでた蕁麻疹。
それは、毎年春や夏の季節の変わり目になるとでてくるようになりました。
ひどい時は3日間点滴治療に通ったり、1週間顔の腫れが引かなくて恥ずかしかったり。
蕁麻疹がでるのは、3~4年続きました。
それでも疲れが溜まった時だけだと、
全く自分の身体の叫びに気づかず💦
やり過ごしていたのでした。
その時はやってきた
それから3男が誕生し、また賑やかで赤ちゃんのいる不思議な安らぎのある時間を過ごしていたある春の日。
長男が歯医者さんで乳成分入りのフッ素を誤って処方され、あっという間に呼吸困難を引き起こしてしまったのでした。
アナフラキシーショックでした。
歯医者さんの駐車場には、救急車とドクターカー。
まるでドラマを見ているかのように現実逃避をしたくなるという、親としてはありえない自分の反応を覚えています。
「怖い」という気持ちに蓋をし、
ただただ溢れる涙をそのままにしかできない救急車の中でした。
「私、なにやっているんだろ。」
「もう限界かも。」
漠然とそう感じた出来事でした。
同じころ、結婚してから「何かのために」としていた貯金が、1000万を超えました。
それを知っても「え?何にも幸せになってない。」という感覚。
より一層「なにかを変えなきゃ」という気持ちが強くなったのでした。
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~なんだか行ってみたいイベントのお話に戻ります~
「3男はどうするん?」
夜18時過ぎからの誘いに出かけるのに、夫が聞いてきました。
「連れていけるみたい。」
と答えると、
「それならどうぞ。」
と帰宅を早めてくれることになったのでした。
時間なし、お金なし、人脈なし、引きこもり歴10年
誘ってくれたのは地元でNPO法人代表をし、当時英語の育児サークルは活動
10年を迎えるというパワフルママでした。
その活動は、孤立する周りに知り合いのいないママと子どもの居場所を作っていました。
共通のママ友からSNSでつながり、「とってもいい講演会だからたくさんのママに聞いて欲しい。」と出にくい時間と分かりつつ、私を誘ってくれたのでした。
結婚してから私は確かに孤立はしていなかった。いつも義理の家族がいて、その親戚がいて、地域の方がいた。
私が知らなくても、向こうは知ってくれているという関係も多かった。
そんななぜかいつも私を知ってくれている人達がいる中で、新しい「知り合い」や「友だち」を作る余裕が私にはなかった。
そんなことをしたら、私の自由がなくなると思い込んでいたのです。
余計なお付き合いだけを想像し避けていたのでした。
ファーストペンギン
その講演会は、子連れで夜の勉強会にでるというママになって初めての経験でした。
講演テーマは、
「ファーストペンギンであれ。」
ペンギンは集団で行動していますが、天敵のいるかもしれない海へ1匹が飛び込むと、後に続いてたくさんのペンギンが海に飛び込んでいきます。
その勇敢なペンギンのように、初めてのことに挑戦する精神の持ち主になろう!という意味で「ファーストペンギンであれ。」という内容でした。
しばらく目に付くところに、この講演会の資料を貼るくらい、何かを変えたいと思う私を支えてくれた貴重な経験でした。
この経験を機に、人とつながることで価値観が変わったり、思い込みの制限がなくなることを目の当たりにします。
その結果本当の意味での
「自由を得る」
ということを無意識レベルで感じとっていくようになるのでした。
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