見出し画像

評㊼檀れいの“変化”『大逆転!大江戸桜誉賑』@明治座、招待

 明治座創業150周年記念前月祭『大逆転!大江戸桜誉賑(かーにばる)』を日本橋浜町の明治座で観る。招待なので無料。正規料金はS席(1階席・2階席)13500、A席(3階席)6500円の模様だが、じゃらんでは9800円など割引も出ている。3月4日~28日。
 
 いつもにまして、評というより、感想である。

特に演劇ファンでもない人々がわいわい観る“芝居の原点”

 明治座は4月28日に創業150周年(おめでとうございます)、その記念の“前月祭”。江戸を舞台に、殿様(松平健、檀れい)と傘職人(コロッケ、久本雅美)という立場の違う二組の夫婦が入れ替わって巻き起こるドタバタ大騒動、最後にはお約束の「マツケンサンバ」💃脚本・演出:細川徹(映画他、「小河ドラマ」などをやってる)。
 わかりやすい、勧善懲悪スタイル。
 通常、いわゆる小劇場、新劇、たまに歌舞伎、たまに芸能人の出る商業演劇(一時閉館するシアターコクーン辺り)を観る。演技、演出、脚本あるいは戯曲に注目する。そういういつもの自分とは違う心持ちでやってきた。

 客席を埋める人たちも、観劇ファンではなく「まつり」の一環としてここにやってきた人々がおそらく大半。そのざわめきは、「あら、〇〇ちゃん久しぶり」「あはは」みたいな会話が織りなす(演劇ファンの会話は「この前観た劇はどうだった」「(出演者の話題)」みたいな)。演者側も「団体さん」の時は「今日は団体さん」と思ってやってるんだろうな。
 しかし、実のところ、これこそ芝居の原点ではないかと、始まる前も思い、終わった後も思った。ある演出家が「年に10回以上芝居を観る人は、標準ではない」と言ってたし、そりゃそうだ、世の中いろんなことがある。芝居ばかり観てるのはオタク以外のも何者でもなく、それよりも、今日のお客さんたちの方が「ふつー」なんだ、きっと。

 そして、テレビやらで顔も名前もよく知っている有名人が舞台上にいることを、とにかく楽しむ。

殿様⇒傘職人・松平健(69)、期待に応える暴れん坊将軍

 え、松平健、てもう69歳なんだ、70歳目前。それにしては若い。。
 勿論、この人が主役だ。遠めでも顔のシワはわかるし(高橋英樹に見えないこともない)、声の張りなどがやや若さを失っている気もしたが、69歳で殿様の衣裳を着て品格良く動き回り、殺陣もやり、お客さんの「暴れん坊将軍」の期待にきちんと応える。
 上手い下手の段階は吹っ飛んで、「松平健」をきっちり演じる。プロよのう。舞台映えする。
 最後はキンキラ衣裳のマツケンサンバ、待ってました!!で、満足度高める!

奥方⇒傘職人の女房∔α・檀れい(51)、殺陣に初挑戦

 綺麗でした✨。はい。いやー。好きな役者というわけではない、しかし、綺麗だww
 時代劇なのでずっと着物姿なのは当然だが、お城の奥方にせよ、長屋の貧乏女房にせよ、着物を着た身のこなしがしなやかで美しかった。さすが、宝塚。
 以前も何かの舞台で観た気がするが、単に綺麗な人、の役だったような。今回は最初に豪華絢爛な衣装で登場し、その後質素な着物姿に変わってもそれはそれで長屋の美しい女房になっていて、その“変身”ぶりが目を惹いた(ちなみに、松平健は職人姿でもやはり“殿様”だった。脚本もそういう想定=殿様気分の抜けない=だったが)。さらに三番目のキャラも出てくるので、美味しい役だったと言える。
 途中で、殺陣をやったが(女だから懐刀みたいな)、上手いように見えた。へー、さすが宝塚、と思っていたら、終わりの挨拶で「今回、初めて殺陣をやりました」と言うので、え、と驚く。長年舞台で鍛えてきたとはいえ、女51歳、凄いな。しかも、檀れいが殺陣をやるわけだから、「綺麗で凄みのある殺陣」でないといけない。もちろん、周囲の殺陣役の俳優たちも頑張ってフォローしたんだろうが。
 コロッケもいたので、物まねも少し。これも舞台で初披露だったそうで。。

傘職人⇒殿様・コロッケ(63)、物まねの極意は音域の高低か

 コロッケは、ドタバタ殿様に加え、物真似ショー担当。美空ひばり、北島三郎、淡谷のり子、岩崎宏美などなど。古いネタが多いと感じたのは事実だが、お客さんも白髪の方が多いし、受けてたから、それでいいのかも。
 初めてコロッケを生で観て思ったのは、声の幅(音域高低や広さや深みなど?)が広く、それがゆえにいろんな役をこなせるのではないかということ。変顔で笑いをとるが、声を出すとその瞬間に違う世界を作り出せているように感じた。さすが物真似で食べてきただけのことはあるかと。
 また、マツケンが二枚目、に対し、きっちり三枚目を演じた。

傘職人の女房⇒奥方・久本雅美(64)、きちっと三枚目こなす

 久本雅美も64歳か~こちらもそれにしては若い。飛び回っていたし。
 ただ、早い台詞で聞き取れない部分があり、滑舌や声の通りがあまりよくなかったようだ。が、コロッケと並んで“お笑い担当”なので、詳細な台詞が聞き取れずとも、内容はわかるのだが。
 久本は特に好きな芸人でもないが、彼女のギャグに客席で受けている人もいたし、安心のお笑い担当、三枚目をきちっとこなしたと思う。 

幅一メートル?くらいを縦に移動した殺陣は見事

 殺陣、は時代劇の華。
 中でも、大舞台の前の方に幕が下り(その後ろで舞台転換している)、その前の幅1メートルかそこらの幅の細長い空間で「待てー」とばかりに移動しながらやってた殺陣は、よくあんな狭い空間でやれるなと感心した。
 その場面、荒木宏文(39)だったか?

舞台転換、大道具はさすが150周年

 そして、何よりも、何度も何度も行われた舞台転換、プロジェクションマッピングも多用して、“祭り”の豪華さを演出した。さすが明治座150周年を記念した芝居。こういうところが、お得感を創ったりするんだ。

こういう芝居も、あり

 で、結論は、。こういう芝居も、あり。
 ある人が、芸能人で客を呼ぶ料金の高いものは演劇なのか?、みたいことを言ってたのに対する意味で。

 では自腹で行ったかというと、なんともいえないが。
 有名人の期待通りの演技を観て、笑って、わーいと発散する、アリストテレス的「カタルシス」?(いや、あれは悲劇か)、みたいなものも、存在意義はあるだろう。んと、ちと上から目線かな。

 芸能人が、そのネームバリューと人気で客を呼ぶ娯楽演劇の類と思うが、そこには、それぞれが芸なり演技なりを個々に磨いて人前に出せるものとして作り上げた人たちが集まり、舞台にぶつけている、プロ意識は感じた。
 集合活動の「作品」としてどうか、と言われると、芸術とは違う気がするが。。
 他の演劇との比較の意味でも、取り急ぎ、感じたことを書いておいた。

「前にみた檀れいと少し違う檀れいを観た感」という収穫

 ……と一旦公開した後で書き足しているが、今回は、上にも書いたが
 「前にみた(と思う、あるいは映像上か)檀れいと少し違う檀れいを観た感」
が、自分の収穫
だった。たとえ、思い違いにしても。
 芝居とは、「変化」を観にいくものではないか(お初の場合は、その舞台の中で変化していくこと)。そして、自分の「変化」に何か影響を受けるのだ。

この記事が参加している募集

舞台感想

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?