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・今日の周辺 2023年 目の前に3月の後ろ姿


○ 今日の周辺
飼い猫がベランダで見つけたのか何かの幼虫を食べてる……春ですね

「同性婚の制度化より、lgbtの理解増進が先だ、みたいな議論がありますが、別に、万人がlgbtを「理解」する必要があるのでしょうか。例えば、二回りも離れた年の差婚なんて、「理解できない」という人もいるはずです。しかし、年の差婚は制度上、認められています。同性婚だってそれと同じではないでしょうか」

橋渡しとしてしっくりくる。
どうだろ、そもそも「賛成」「反対」で尋ねる問題というよりも、実際このような距離感でいるんじゃないか。
「理解できない、けど……」みたいな、言い淀みに含まれるものがあるのでは。個人の、もしくは私の、パートナーシップや婚姻関係の因果や内情、利害だって誰にまるっと理解される必要があるのだろう。同性婚に限らず婚姻の意義が変化することは当然にあり得る、婚姻と生殖可能性を紐付けては説明できないことはあって、少子化の問題だって別に議論が必要。理解増進ですら、時間稼ぎという。

「ヘテロセクシュアルを規範として組み立てられた社会のなかで、「普通の人間」とは、異性愛者のことを指す。しかし、それは単なる個人のライフスタイルの問題ではなく、婚姻や福祉などの社会制度から法や政治経済体制まで、幅広く、この世界の枠組みとかかわっている。」
岩川ありさ『物語とトラウマ クィア・フェミニズム批評の可能性』より

タイムラインが首相の顔で溢れて、
国政(政権与党)がもっと私たち(私たち、というほど一体感のあるものではないけれど)に寄り添ってくれたら、誰もこれだけあえてはっきりといちいち賛成も反対も批判をすることに時間や感情を費やさずにすんだのに、TL、本当ならもっとそれぞれが他のことに言葉や感情や時間を使っているところを知りたい。
異なる立場や属性を生きる人を想像するためのこのたとえ話もこの先には無意味なものになると思いながら。


近所に好きなジェラートのお店があって、食べに行く。
お店に入れば、その世界観、ガラスに貼られた十数種類の季節のフレーバーを眺める、ガラスとコンクリートの中に際立つ果物や花、優しいグラフィック。
ジェラートが溶けない間ののんびり。苺とロッキーロード。

帰りは古本屋さんに寄る。お店って、個人商店って本当にいいな、本棚を前に音楽を聴いてる。石内都『Infinity∞ 身体のゆくえ』「マザーズ」、青い口紅の写真は有名だけれど、あらためてきれいで立ち読みで感動する、それと北原白秋の小さい歌の本も楽しかった。今日は何も買わなかった。
駅前の何階建てかの大きなスーパーは、単に商店街を重ね上げたものでは全然なくて、個人商店が両側に百数メートル連なったアーケード、人によって立ち寄るお店は違うから、商店街の印象って、人によってきっと全然違うのだろうな、と家に向かって歩きながら。

棚にこちらを向いて並んでいた、石内都さんの写真集『Infinity∞ 身体のゆくえ』の表紙の写真が、私を惹きつけて、家に帰っても思い返している。
ページを捲るうちに、ふーっと意識が飛んでいく。すごいな。
石内さんの写真は先週、森美術館「六本木クロッシング」でも見た。けれど、会場で見た作品よりも、写真集に見た、長い間の伸縮に耐えた皮膚、痣や傷の痕跡を纏った身体を写した写真を好きになった、透ける破れた衣類も、石内さんの写真集探したい。


○ あれこれ
6時に起きて細々したことを進めていたので昼過ぎに眠気がきて休憩することにした。
部屋に届く電車が走る音が大きくなってくると春を感じる。去年の春はそれを母に言ったら、「窓開けてるからじゃないの?」と言われた、そうか。窓開けてるからか。
外気が肌に気持ちよく、いつまでも眠っていたくなる。
起きたら17時半ではっとして起きた。

森泉岳土『仄世界』
これだけ余白が多いから/のに、解釈の余地がない/ある、の両方のよさがいきているような。余白は絵にも、ストーリーにも。
解釈させない、というか必要としない1度目の接触が、経験として残る。
この本の存在が、漫画の中で黄色に塗られた部分であるように、表紙を正面にして、本棚に飾った。

寺尾紗穂『天使日記』、『彗星の孤独』に続けて読む。
もう1ページ目でおもしろいもん……。
寺尾さんのエッセイには、人前に判断した態度と、自分の内に確かにあった意思の両方が対等に扱われていると感じる。
使われる言葉の、他と何が違うかははっきりとしない、けれど数行で、読むを超えて伝わってくるものがあるとき、驚く。そのことが、この本読める、とか、この人が言っていることわかる、とかそういうことを確信させる。具体的に書かれることは位相の違いを超えることが難しい、むしろこうして伝わってしまうものこそ位相を縦断することや、広く雑多なものをもいつの間にか包んでしまう力を持っていると思う。
言葉の間を漂っている空気、もしくは文字を連ねている緩い接着剤みたいなものの性質によるのだろうか、受け取る。


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やるべきことだけで自分のキャパが満ちる、溢れ出すと、その外へ意識を飛ばして泳いだり飛んだりすることができることを忘れるなあ、と、打ち合わせが控える朝どっしりと重い身体を起こす前に思う。

自分が思うこと、感じたことを伝える言葉を持たないことは明らかに日常の中に困るけれど、言葉にし尽くすことも日常の中には求められない。
適当に働きかけ、応答することで十分でもあるなかで、それでも私は困っているから、無理はせずに、伝える方法はないかと探る。
雑談や他愛もない話に、困難は乗れない、だから、それでも、機会がなくとも、伝える術は自分に持っておきたい。

ようやく自分が戻ってくる。
1月の仕事の領収書をはやく送ろう、確定申告をしよう(した)。
今年の花見はどこに行こうかな。と思うと同時に今年の花粉はひどすぎます。
花が咲くことを愛でたいと思い、その一方でケチをつけています。

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