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・今日の周辺 2024年 いつも心に残るのはじっくりとした時間のほう


(書ききれずにそのままにしていた、おそらく5月中のこと)

○ 今日の周辺
朝、もろもろ済ませていつもと違う図書館へ自転車で15分。
ベランダで倒れた植木鉢の掃除をして、猫のブラッシング。盛り上がって噛まれる。インナーヘアをごっそり回収して猫思いの外ほっそり、初夏らしい姿に。中心駅を離れて国道が走る郊外の方へ、高い建物は次第に減って、清掃工場の煙突や鉄塔だけが空にぽつぽつ。入り組んだ路地、木々に囲われた古い豪邸、忘れられた住居、空き地、午前授業を終えて帰る小学生、坂道を登る老婦人、路面の線路沿いに風に倣ってカーテンを作る木々、踏切。


○ あれこれ
濱口竜介『悪は存在しない』、4月の末に観た。のを思い出す。
巧が「忘れやすい」ということと、花が「待っていられない」ということ。互いのコントロールし難い側面の噛み合わなさが描かれているところが好きだった。

仕事終わり、「ヘラルボニー」とコラボレーションしたフリクション、買って帰る。
今ここにいない人がいることを忘れないよう。ここにいない他者を半ば嘲笑することで、自分たちの話が続かないことの埋め合わせにするみたいなことがさらさらと流れていく職場で、心の支えというか、お守りみたいにする。
1日使ってみて、想像以上に気に入って、はじめに職場用に買ったのは伊賀敢男留さんの「夜景」という作品が使われたデザインのもので、今度は自宅用に中尾涼さんの作品が使われた黒のボディのものを買った。机に転がっているのが、作業をしながら度々目に入るだけで嬉しい、元気でる。
日常的にメモをとるのにフリクションを愛用していて、ちょうどグリップが減ってきているタイミングだったということ以上に買い替えてよかった。

松田文登・崇弥『異彩を、放て。「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える』を読み終えて、これから読む本。まとめて感想書きたい(夏の終わりになるだろうか)。

立岩真也『人間の条件 そんなものない』長らく読み途中 亡くなってもう1年になる


立岩さんのことは残念なことに亡くなったときに知って、話している姿とか、生の立岩さんのことを知ることはできなかった。
書かれた本以外には、岸政彦さんのブログを、手がかりにする。


一晩中音楽聴きに友人と。
夜が明けて、うっすらとアルコールが残った体でチェーン店のうどん食べて解散。6時頃家に着いて、着替えして眠って、10時半に起きてシャワー浴びて夕飯の準備をして、美容室で髪を切ってその足で図書館に行く。なんだかんだいつも通りの土曜日の流れに合流。
地下3階構成の会場は各階が異なる規模感、テイストの空間を擁していて、一晩中音楽の中を歩いているみたいで、それにオールジャンル、出演者も20組ほどの大きな規模のイベントだったこともあって好き好きのファッションに身を包んだ人が集まって滞りなく行き来するのを見るのも刺激的だった。
オールナイトイベント、もうひとつの現実って感じがして日中働いている日常とは異なる、誰がどこで何をしていてもどうでもいい、開放的な?雰囲気があって初めはやや呆然とする。
はじめて会う人とも時には最初っからタメ口でもよかったり、会って少し話して離れて、その理由が説明できるものでなくてもよかったり、その場限りの関係が可能にすることってすごく気楽で、それは継続が前提となっていないから、なのだけれど、肩の力を抜いて楽しむことができて、眠って体を休めるのとは違う頭や体の休め方ができたし、知った。少し宙に浮いているかのように身体が軽かった。そういう場所なのだと思う。昨年末にはじめてクラブにきて、今回は3回目、ようやくこの体験の価値が自分にしっくりときた感じ。


🍉
5月15日(水)ナクバの日、新宿駅南口のデモに行った。仕事帰り、時間が合って。
新宿に向かう電車の中で、インスタライブからデモの様子を覗く。参加しているのは十数人に見えて、少し心細く感じる。
それから30分ほど経って到着すると、南口改札前から東南口の方、数十メートルに渡って100人を超えるであろう人が集ってスピーチに耳を傾けていた。

初めてのデモ参加(仕事帰り、手ぶらで、参加というほど積極的なものではなかったけれど)。
祖母が英語の先生をしていたこともあって、幼い頃から留学生や国際的な事柄に関心が高い友人や大人が周囲に多かった。デモに対してよく忌避される「過激さ」でない側面、多国籍的で闊達な感じのあるコミュニティは私にとって何か懐かしく馴染みのある雰囲気に感じられた。
ナクバにおいて「失われた家(故郷)」のシンボルである鍵の形をしたアイテムを各々が持ち寄って、小雨の中、屋根のないロータリーで、スピーチに耳を傾けながら、いくつもの旗がひらめく中で、スピーチを背に、ターミナル駅を乗り換えで利用するたくさんの帰宅途中の人々、買い物客や観光客が通り抜けていくのが途絶えない通路に向けてプラカードを向ける何人もの人の中で、数十分間、私もスピーチに耳を傾けながら、この文章を書く。

7ヶ月が経った。
雨だけでないあらゆる悪環境の中に身を置かざるをえない人たち。
画像ばかり目にして、それは苦しいことで、けれどそれで目を背けることもできず、状況がただただ進行していくことに塞ぎ込むだけでなく能動性を向けている人たちの一人ひとりを目の当たりにして、そのことにまず少しほっとしてしまった。
画面の向こう側のことが自分の今ここと接続した。
考えるだけでは、想像力を働かせるだけでは当然にわかることができないしわかりきれはしない。

外務省にFAXを送る(方法を教えてもらって)。

ガザのこと、追いきれない。
追いきれないとか潔癖なことを言っていないで、現状を都度把握し、今私にできることをすべき。遅すぎるとしても、段階的に、行動を伴った理解が、遅効的にであっても、助けると信じて続ける。

5月28日(火) 台湾植民地侵攻開始から129年、新宿東南口デモに立ち寄る。
仕事の帰り、新宿で買い物をしたく東南口改札を出るとコールと太鼓の音が聴こえて階段を降りる。今日5月28日は1895年の日本による台湾植民地侵攻が始まった日で、日本が他国に対して行った帝国主義的な振る舞い、侵攻を自国のものとして忘れない、ということと絡めたデモ活動だった。
署名もしたいと思っていたので声をかけてもらい署名する。
自主的にニュースを見続けたり、メッセージを送ったり、自分でできる範囲で関心を向け続けているけれど、一人でできることには限界があって、こうして自分が足を運びやすい場所でデモが行われていたり、活動を行っている人が署名に関して声をかけてくれる、スピーチ内容をコピーした原稿を手渡してくれる、スーツ姿でプラカードを掲げる人、みんな自分1人ができることを超えて、仕事や家事の合間に時間を設けて今日のために自分だけでない周囲の人を想像して準備をして集まっている。私は前回も手ぶらで来て、何もかもしてもらっている、受け身な自分は情けない。
新宿駅前ということもあってか、観光で通りかかった外国人も多く関心を向けていた。署名を集める人と、声をかけられた外国の人、との間をその場にいた人がスムーズに間に入り、通訳でつないでいるところを目にして、あらゆる困り事に対してこのようにスムーズであったらいいのに、と思う。

数十分の間スピーチを聞いていると、私の前でスピーチを聞いていた外国人の女性が「私はもう行くから、これもらってくれる?」と「Nobody’s free until we are all free(すべての人が自由になるまで誰もが自由ではない)」とプリントされたA3のプラカードを手渡してくれた。
目にしたことのあるスローガンだが、帰りの電車で気になって調べてみる。60年代アメリカの公民権運動のファニー・ルー・ヘイマーという活動家の言葉で、公民権運動を超えて、これまでのあらゆるマイノリティの権利を獲得しようとする運動の際に幾度となく使われ続けてきた言葉。異なる誰かを抑圧、疎外することで自分たちだけが台頭するのでない、誰もを包括するということを前提としている、ということが伝わる簡潔でまっすぐなスローガンだと感じられた。

BLM以降(特に2020年コロナ禍でのハッシュタグアクティビズム、今回問題視されたのはAI生成画像を用いたSNS上でのアクティビズム)、アクティビズムへの関与の仕方まで議論されるようになっている。どのように関わるべきかということを明確にすることは必要、けれどその裏で、一人ひとりが忙しいし、自分も含めて、自分のことで精一杯になっている日常には厳しいことかもしれないけれど、自分が周辺と認識している範囲をもう一周り広げようと想像力を働かせて行動に移すことが必要だと思う。
All eyes on Rafah.

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夕方、パンの発酵をしている間に母と庭の草むしりをする、近所のジェラート屋さんで少し贅沢に一服する、帰りに好きな古本屋に寄って背表紙が並んでいるのに目を滑らせて気になった何冊かを立ち読みする、帰ってパンを焼いて家族と食べて、夜は映画をぼーっと観ても、まだ外はうっすらと明るい。

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