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今日も優しく、うそを語ろう。

うそをついて誰かをだまして損害を与えれば、罪に問われます。
法律うんぬん以前に、まずは道徳的によろしくありません。

しかし世の中には、特定の条件下で許される「うそ」というのも存在します。

いわゆる「フィクション」に分類される、小説や映画、演劇などです。

小説の読者は、その小説が架空のもの、つまり「うそ」であることを承知の上で読みます。
映画や演劇の観客も同じです。
それらの作者は暗黙のうちに「これから僕は、うそを語りますよ」と宣言した上で、フィクションを表現します。
これは法律上も道徳上も許されている「うそ」です。
送り手と受け手の双方が「これはうそである」とあらかじめ承知していれば、うそを語っても良いのです。

このたびVTUBERになろうと思い立ち「うそ」をテーマに活動しようと決めました。
タイトルからして「これから僕はうそを言いますよ」という宣言をいれようと。

それから、もうひとつ。
いやされる」というのもテーマにしよう。
だからタイトルに「優しく」という言葉を入れました。

「優しく」と「うそ」という2つのテーマを追い求めるなら、いったい何を手放すべきかも考えました。

VTUBERになるにあたって、わたしが手放すことにしたものは「意味」です。
わたしの配信を観て、株で儲かるとか、頭が良くなるとか、料理が上手になるとか、筋力が付いてスポーツが上達するとか、そういう事にはならない。
そういう御利益ごりやくは無くても良いかなと。
ただひたすらに、うそを優しく語って、少しだけ心が穏やかになってくれれば良いかなと思います。

うそをテーマにすると言っても、1から10までひたすら「さかさま言葉」を言い続けるような、そんな天邪鬼あまのじゃくのようなVTUBERになろうとは思っていません。
わたしが語るもののうち、99%が実は本当で、うそは最後の1%だけかもしれません。
すべてがうそである必要は無い。
うそがうそであるためには1%もあれば充分です。

あるいは、うそと本当が50%づつかもしれません。
うそが8割くらいになるかもしれません。
その比率、何がうそで何が本当なのかという区別も含めて、送り手のわたしは曖昧あいまいにしたい。
その判断は、受け手の皆さんにゆだねようと思っています。

今日のところは、この辺で。
ちかぢか、動画配信のスクリーンごしにお会いできるのを楽しみにしています。

#こう思う

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