プロセカについて語りたい② VIRTUAL SINGER編

注意:⓪を読んでいない方は先にお読みください。

②では、全ストーリーにおいて重要な立ち位置を占める、VIRTUAL SINGERについて取り上げる。

VIRTUAL SINGERとは?

プロセカについてご存知の方は飛ばしてください。

VIRTUAL SINGERとは、VOCALOIDキャラクターのゲーム内での呼称である。

プロセカには、各ユニットの「セカイ」が存在し、各「セカイ」にそれぞれ独立にVIRTUAL SINGERが存在する。おなじキャラクターがいることもあるが、性格などは各セカイによって大きく異なり、別人と呼んでも良い。

プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat.「初音ミク」

問:どうして「初音ミク」なのか

プロジェクトセカイは、ボーカロイドの音ゲーであるというのは先述した通りである。より具体的に言えば、「クリプトンのボーカロイド」、すなわち「初音ミク・鏡音リン・鏡音レン・巡音ルカ・MEIKO・KAITO」の6人が中心となる音ゲーである。あるはずである。

しかし、ゲームタイトルに入っているのは、「初音ミク」である。もちろん、初音ミクが有名であり、それをゲームタイトルに入れ込む、という「商材」的な意図がないわけではないだろう。だが、それだけではないはずである。
この章では、初音ミクという存在の扱い方を通して、VIRTUAL SINGERがこのゲームにおいてどのような立ち位置であるかについて書いていければと思う。

「中心であって、主人公ではない」

いきなり結論を書いてしまったが、この内容は本項だけではなく、プロセカというゲームを語る上で重要であると思うので、惹句的に使わせてもらった。

意味としてはその通りである。そして、VIRTUAL SINGER(以下「バチャシン」と呼称)は、紛れもなくこの位置に立っているのである。
「ボカロの音ゲー」を標榜しているこのゲームにとって、間違いなくその中心はバチャシンであろう。音ゲーだけでなくキャラクターにもこだわっているこのゲームにおいて、バチャシンを失うことは軸を失うことであり、それは致命的なことでもある。少々乱暴だが、このゲームからバチャシンが失われれば、「バンドリ」とやっていることはほぼ同じである。

ところが、バチャシンは明らかに「主人公ではない」。主人公は各ユニットのメンバーである。これもまた乱暴な言い方だが、バチャシンは「成長しない」。もちろん変化はするが、それは人間における「成長」というものとは異なるだろう。ユーザーは人間なので、ユーザーからする「主人公」は、成長しないバチャシンではなく、成長しているユニットの面々である。
むしろ逆に、バチャシンの在り方は中心でありながら、成長している「主人公」らに依存している。これについては、ゲーム内でもかなり触れられている。「セカイ」というのは、人々の「想い」の場であり、そこにいるバチャシンらもまた、人々の「想い」によって形作られる。すなわち、上に書いたようなバチャシンの「変化」が存在するとすれば、それは各ユニットのメンバーの「想いの変化」によるものである。

そしてこの役目は、まさにボーカロイドにとってうってつけのものである。ボーカロイドというのは非常にややこしく、人格というものを持つかもしれないし、持たないかもしれない。一般的な「成長」は行わないが、「変化」はするかもしれない。不慣れな表現を使うと、「客体による主体」、すなわち「我々がどう認識するかによって、その存在を規定できる」と言える。
つまり、プロジェクトセカイというものは、バチャシンと各ユニットとの対話を通して、ボーカロイドという文化・コンテンツを「再現している」と言えるかもしれない。これは、①で述べている、「プロセカによるボカロ界隈の変化」にも通づるものである。ボーカロイドを我々が認識して、定義づけるという営みは、「ボカロという文化を我々が、みんなが作る」という営みそのものである。

やや脱線するが、この辺りの思想については、ピノキオピーさんの『愛されなくても君がいる』という曲によく表れていると思う。ピノキオピーさんはこの辺りの表現が実に巧みであると感じられる。この曲は2020年の「マジカルミライ」テーマソングであり、プロセカにも実装されている。いい曲なので是非聴いてほしい。

初音ミクへのアプローチ

さて、「中心であって、主人公ではない」というモデルは、より局所的な、「初音ミクとバチャシン」にも当てはめることができる。
初音ミクは、バチャシンの中でも中心的な位置を占めている。証左として、初音ミクはバチャシンの中で唯一、「すべてのセカイに初めから存在した」。
しかし、初音ミクはバチャシンの中で「主人公」≒「キーパーソン」ではない。ストーリーを読むと、キャラクターへの助言は初音ミク以外のバチャシンが行っていることが多いし、イベントストーリーにおいては特に、「そのストーリーで初めて出てきたバチャシン」がその役目を務めることになる(裏を返せば、初音ミクがそのポジションを務めることはない)。

面白いのは、初音ミクが各セカイで同一の立場にないことである。例えばワンダーランズ×ショウタイムのセカイでは、鳳えむと似た性格のミクが登場するのに対し、Leo/needのセカイでは、Leo/needのメンバーをエスコートするような、すなわちどのメンバーにもあまり似ていない性格のミクが登場する。ここにも、プロセカのストーリーの面白さが表れているのではないかと思う。

上記したように、「中心であって、主人公ではない」というモデルは、このゲームを語るにおいて様々な場所で登場するため、是非色々な場所を覗いてみてほしい。
もっとも、このようなモデルは小説や漫画などに一般なものなのかもしれない。プロセカにおいて面白いのは、その立場にボカロを代入してコンテンツそのものを再現した点と、二重構造になっている点であることを追記しておく。

解:どうして「初音ミク」なのか

以上の内容から、この問いには3つの解答が用意できる。

一つ目は、問いの部分で述べた、「初音ミク」という名前を商材的に用いるというもので、非常に悪い言い方をすれば「客寄せ」である。

二つ目は、「中心であって、主人公ではない」という、プロセカのストーリーの根幹を表すというものである。プロセカの中心は「バチャシン」であり、その中心となる「初音ミク」をタイトルに据えることは、ストーリーの面から違和感はない。

三つ目についてだが、初音ミクには、もう一つ「中心」的な役割が存在する。これは、初音ミクが「全てのセカイの中心」にいる、というものである。これは、ゲームを始めた時に案内をしてくれる(アニバーサリーイベントの時などにたまに出てくる)ミクである。
これは、話の「中心」であると同時に、ボカロという文化の中心に初音ミクがいる、ということのメタファーになっていると感じさせられる。このことは非常に挑戦的な営みである。実際、プロセカはKAITOの扱い方による炎上があったし、近年ではボカロ文化の中心はv-flowerや可不に移ってきているという論もある。
それでも、初音ミクがボカロ文化を支えている、というのは正しい主張であると思う。プロセカとしても、これを認めた上で、ある種の「賭け」のように初音ミクを中心に据えたのではないかと、自分は推論している。

「SINGER」として

ボーカロイドの捉えかた

ボーカロイドには、様々な見方がある。

ボーカロイドは、ボーカル・シンセサイザー、もとい、ソフトウェアである。
ボーカロイドは、音楽ジャンルである。
ボーカロイドは、キャラクターである。

いずれも成立する。そして、このゲームでは、ボーカロイドにキャラクターとしての主体を持たせている。よって、ボーカロイドは「VIRTUAL SINGER」たり得る、これは「主体を持つ」という宣言とも言えるだろう。

プロセカの各ユニットは、音楽、特に「歌」を通じた人間同士のつながりが描かれる。それを媒介するのが、「VIRTUAL SINGER」という存在である。ただ音楽だけで繋がっているわけではなく、音楽の「実体」を通してつながっているのだ。
そして、それに適当な存在がボーカロイド、すなわち「VIRTUAL SINGER」なのである。ボーカロイドはまさに「歌の具現化」であり、それでいて「実体がない」という不思議な性質を持つ。プロセカのストーリーは、この性質をうまく活かして進行していると言うことができる。

さらに、この状態は、「ボーカロイド文化」であることにお気づきだろうか。ボーカロイドを取り囲む人の縁というのもまた、「中心であって、主人公ではない」というモデルのように、ボカロコンテンツを投影したものであると言えるのだ。
後者が「ボカロに関わる人」と「ボカロ」の一対一、個別的なつながりであるのに対し、前者はより広い「横のつながり」である。ユニットは「歌」でつながるが、もちろん歌でなくても構わない。25時、ナイトコードで。のように動画や絵を作る人もいれば、MORE MORE JUMP!のように衣装を作ることもあるのである。最近は、音楽関係なくチョコを作ったりアロマキャンドルを作ったりしているが、それもまた一興であろう。
まとめると、この状態は、ボカロという「歌う仮想的な主体」や「その歌」を中心に広がる人々の輪が、ボカロコンテンツのミソである、ということを表しているのだと考える。

SINGERとして?

実は、プロセカには3種類の「ミク」が登場することはご存知だろうか。

一つ目は、「セカイ」のミク、もといVIRTUAL SINGERたちである。この面々については上記した。

二つ目は、「世界の中心」のミクである。このポジションについては特異的にミクしか存在しないが、ここでは「セカイについての案内人」的な役割を担っているものとする。

そして三つ目は、物語中にあまり描かれない、「現実世界のミク」である。実はプロセカの公式キャラクター紹介には、「現実世界のミク」と「セカイにいるミク」が区別して描画されている。

現実世界のミクはどこで表れているかというと、ユニット曲ではない実装曲である。例えばプロセカNEXTの採用曲は基本的にVIRTUAL SINGERバージョンしか実装されないが、これを歌っているのが「現実世界のボカロ」と言えるだろう。

三つ目のミクは「SINGER」であるかと言われれば、SINGERである。なぜなら、歌を歌っているからである。しかし、プロセカにおいて一般的に描写される「VIRTUAL SINGER」とは少し毛色が異なる。
よく言えば「一般化」されている。これらのボカロは、決して各ユニットのものではない。そして、プロセカはこの辺りのバランスが非常に良く取れていて、ちゃんと「ボカロの取り分」を用意している。この辺りが、ボカロのファン層をうまく取り込んでいるな、という印象を受ける。
これらの曲の入手手段が、(某チェーンに似ている)CDショップというのもまた趣深い。これは上記した「一般化」の根拠にもなり得る。色々なミクがいるという点でも、非常にリアルに作られた箱であると考えさせられる。

曲について

プロセカにおける、「バチャシンの曲」はあらかたプロセカNEXTであり、①で取り扱ったので、ここではバチャシンの使い方がとても良いと思う楽曲をいくつか紹介する。

Flyer! Vivid BAD SQUAD×鏡音レン
作詞・作曲・編曲:Chinozo

ハモった〜〜〜!と思った。ゲームをやっててもサビでアゲアゲになる曲。イベント書き下ろし曲のバチャシンについては、この曲が最強だと思う。バチャシンがユニットメンバーに寄り添って、相乗効果をもたらすという、プロセカならではの構図が音楽で表現された素晴らしい曲である。必聴。

ワールドワイドワンダー MORE MORE JUMP!×KAITO
作詞・作曲:TOKOTOKO

モモジャンに男声を混ぜる、というのはなかなか挑戦的である反面、いつかは通る道だったが、それを見事にこなしてきた曲。Flyer!とは逆に下ハモとして、モモジャンを支えるような役割を担っている。
KAITOが活きるような絶妙なテンションの曲であり、モモジャンの明るさは残しつつ、活気を残しつつも、どこか落ち着いた雰囲気を醸し出せているのは、ここにKAITOがいるからだろう、と考えさせられる。

流星のパルス Leo/need×MEIKO
作詞・作曲:*Luna

MEIKOは、男声ほどではないが、低音がよく響くシンガーであり、それがよく活きているのがこの曲である。*Lunaさんは、「青春」系な曲、若い曲をよく書かれているボカロPさんであり、この曲も、Leo/needという最も典型的な「青春」に近い(かもしれない)ユニットに提供された曲である。
そこで比較的落ち着いた声質を持つMEIKOを起用する、というのは、この曲に「重み」を持たせる効果を与えている。Leo/needは決してキラキラしているだけではなく、「決意」や「覚悟」といったワードがストーリーに色濃く反映されたユニットである。その部分がバチャシンを通して表現されているのではと感じる。

まとめ

  • プロセカは、「中心であって、主人公でない」という性質を持つバチャシンがそのストーリーに深みを持たせる効果を担っている。

  • プロセカの究極の「中心」は「初音ミク」であり、ゲームタイトルに登場するだけの明確な理由づけが存在する。

  • プロセカは、上記の構図でボカロ文化・コンテンツそのものをゲーム内で再現している。

他の記事では、各ユニットやプロセカというゲーム自体の話を掘り下げているので、ぜひ併せて読んでみてください。

つづく。

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