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一緒に鑑賞するということ

東京都庭園美術館が主催する
「障害のある方向け アート・コミュニケータとめぐる特別鑑賞ツアー」
のお手伝いをしてきました。
*次回開催案内も含むURLはこちら

庭園美術館の素晴らしさについては、こちらで何度か書いているのですが、今回はそれを直接来館者の方にお伝えする役目。しかも、なかなか自由に美術館に来られない方々が対象。
 …ということで、事前にあれこれと準備をして、少しドキドキしながら当日を迎えたのですが、これがとても素敵な体験になりました。

 私がご一緒したのは車いすの方でしたが、美術鑑賞がかなりお好きで、「一度来てみたかった庭園美術館に来る機会を得て、本当に嬉しい」と、最初にお話くださいました。私としてはちゃんと案内しなければと逆に緊張。
 でも、10分もたたないうちに、すっかりお互い(私が?)リラックスして鑑賞できるようになりました。

 「これは蘭の花のように見えますね」
 「なんか暖かい雰囲気がしてくるなぁ」
 「あ、これ、前に迎賓館でみた階段の装飾に似ている」
 「壁が綺麗…職人さん凄いですよね」…

 思ったままを自由にコメントしていただいているので、私も必死に覚えた”情報”をお伝えするだけではなく、感想にうなずいたり自分の印象を伝えたり。いつのまにか、お友達と一緒に鑑賞を楽しんでいるような気持になってきました。

 「この馬はどうして右向きなんでしょうねぇ」
 「わぁ、本当に”はかない”なぁ」

なるほどそんな感想をお持ちになるのかと、時間がたつのを本気で忘れてしまい、他のサポートメンバーから「そろそろ予定時間ですよ~」とお声がけいただくぐらいでした。危ない危ない💦。

 私が当たり前と思っている日常は、車いすで生活している方の日常とは大きく異なっていて当然で、覚えた”情報”も、私の感覚や常識を通じて相手に伝わるわけで、それだけでは一方通行というか一つの視点に過ぎません。違う「日常」を生きているからこそ、お互いの考えを交わせることで、より面白さが増す。理屈ではそういうことになります。でも、これが理屈としての限界。
「障害のある方」ということで私は身構えていたのに、先方は最初から気取らず普段通りで向き合ってくれた。それがこうして楽しい時間になったのだと、体感したからこその理解につながりました。


 誰かと一緒に鑑賞するとは、自分の常識を色々と揺さぶられる体験であり、「違い」を知ることなのだなぁと。刺激を大きく受ける体験でもあり、その分疲れも感じてしまうのですが、それも含めて、実はとても心地よかったりします。


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