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「分からない」を楽しもう!

 今日からnoteを初めてみることにしました(パチパチパチ…自分で拍手)
アートが大好きなので、その話題をつらつらと綴ろうかと思っていたのですが、いざキーボードに打ち出したら「分からない」についての話になっていました。

 最近、ともかく「分かりやすい」ことがもてはやされ過ぎている気がしています。常に「わかるぅ~」という状態になっていないと不安でしょうがないという感じ、お持ちではないですか?
 はっきりしないこと、先が見えないこと、わからないことは、全てダメダメという雰囲気なので、そのての状況や場面には近づかないか、初めから無視する、あるいは、手っ取り早く「わかった」気になる。そんな対応をしてしまうことが当たり前になっています。でも、これって、生きていく上で何か大切なものを感じる機会を、投げ出してしまっているのではないかと。

 世の中、それこそ冷静になって考えれば(冷静でなくても)、知らないことだらけでできているわけで、自分の知っていること、経験したことは1%にも満たないのではないでしょうか。例えるなら、地球上にいる78億人のうち、一体自分は何人知ってるのって感じですね、”わかりやすく”言うなら。
 …そう、ことほどさように、“わかりやすく”したいというのは、わからないことだらけの世の中で、世の常、人の常なのです。

 だからこそ、分からないことの「普通さ」を、もっと受け止めたほうがよいのではと。はっきりしない自分や他人の態度も、先が見えない不安やあせりも、そんなことは当たり前のことだからと、一旦はじっくりと向き合ってみる。そんな姿勢、いや単に時間をとるだけで、これまで見えてこなかった世の中や自分の中にある新しい可能性に気づくのではないかと思うのです。

 そこで、アートの登場!(やっと当初の意図に結びついてきました) 例えば“現代アート”。損得なく、あるいは体面を気にすることなく(≒言い訳もしやすいし)「分からない」にじっくり向き合える典型ではないかと。

 ということで、こちらのnoteでは、「分からない」の向き合い方を、アートなどを素材に、たぶん“分かりにくく”、かなり“好き勝手に”つづっていこうと思います。どれだけの人に御覧いただけるかは、てんで”わかりません”が、そこも含めてしっかりと新しい可能性を探していこうと思います。見つかったらラッキー♪ という感じで。

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