コンテンポラリーダンスって何なんですか? パート3 ~コンテンポラリーダンサーが考える、コンテンポラリーダンス“再”入門~

<コンテンポラリーダンスを“置き換える”>

コンテンポラリーダンス、コンテンポラリーダンスと、ここまで連呼し続けてきたが、そろそろ皆さんも、このつかみどころの無い言葉に、飽き飽きして来た頃だろうか。
今回は、そんな皆さんにとって、もっと身近なところに話を戻そうと思う。
ここからは今まで連呼してきたコンテンポラリーダンス、あるいはダンスという言葉を、私たちの「生活」という言葉に置き換えて考えてみたい。

私はこの文章の冒頭で“「コンテンポラリーダンス」という言葉の中に、アフターコロナ、ウィズコロナを生きるヒントが隠されている”と書いた。
誰もが変化することを余儀なくされた今回のコロナ禍において、当たり前は当たり前ではなくなるのだという事を私たちは改めて突き付けられた。


ちょうど10年前の東日本大震災の時も、先日の地震でも、私達は何度となくこのことを感じては、なんとか元の生活を取り戻そうとしてきた。
しかし今回のコロナ以降、元の生活というもの自体、戻ってこないかもしれない。

むしろ私達は元の生活に戻るのではなく、生活自体を新たなものに“置き換える”必要があるのかもしれない。
そんな時、「同時代の変化の最前線」を見つめてきたコンテンポラリーダンスという“装置”が役に立つと、私は考えている。

コンテンポラリーダンスって何なんですか?よくわかんないんですけど?という目線で、この文章を読んできた皆さんの、その姿勢、その視線を、そのまま「生活」に置き換えるとどうなるか?


パート1~2に登場した文章を、「コンテンポラリーダンス→生活」と“置き換え”て振り返ってみよう。

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