ミッドナイトスワン

舞台やコンサートに行きづらいご時世なので映画館に行くのが最近の楽しみになっているのだが、昔に戻った感がすごい。映画を見に行くと、予告で気になる映画を見つけてしまうのでまた見に行こうってなる感じも久しぶりのような気がする。ミッドナイトスワンは予告を見て見たくなったわけでもなく、なんとなく監督のツイートが賑わってるな…というくらいの印象だったけど、テレビで見かけた予告の草彅くんがあまりにもきれいだったから見に行くことにした。


凪沙さんが幸せに生きていけるためには何が必要だったんだろう。レビューを見てると、「お涙頂戴感がすごい」「マイノリティの人を可哀想に見せている」「ハッピーエンドにしてLGBTの子たちに明るい未来を示してほしかった」というような言葉が並んでいた。いまの日本ってLGBTの人が幸せに生きていける世界なのかな?と疑問に思った。つい最近、「LGBTの人が増えると足立区が滅びる」なんてびっくりするようなことを言っていた人がいたが、そんな人が行政の仕事についている国がLGBTの人たちにとって暮らしやすい世の中とは思えない。そんな中でLGBTの人だって幸せに暮らしていけますよ〜というポーズをとっても環境は何も変わらないんじゃないかと思った。LGBTの人たちが幸せに暮らすために変えなきゃいけないことは山のようにあって、ちっぽけな私1人になにができるんだ…?と思うけど、困ってる人がいるんだなと言うことを認識して、なにが問題なのか考えることだけでもみんなが考えればなにか変わるのかな、と思いたい。

ちなみに一果が卒業して凪沙に会いに行った時、なんであんなことになってしまってたんだ?と思って家に帰ってから調べてみたら、膣を作る手術は術後もずっと維持するためのケアが大変だと言うことを初めて知った。日本では性別適合手術をしなければ戸籍の性別を変えられないことも、手術は保険適応だけど手術の前にしないといけないホルモン療法が自費診療になるから、混合診療になるのを避けるために手術もほとんどが自費になることも初めて知った。誰が誰のために作った決まりなんだろう。


以下、殴り書き感想

りんちゃんのこと。そんなこと言わないでって言葉をお母さんがどんどん投げかけてくるのが辛かった。母親が言う「この子からバレエをとったらなにも残らないんです」ってなんて残酷な言葉なんだろう。テーブルの上でくるくる回るりんちゃんはとてもきれいで身軽だった。あんなきれいなとびかたがあるか、と思った

凪沙さんが一果を大切にしたいと思う気持ちが出てくるのに反して、一果の母親が言っていたようなことを言ってしまっているのが怖かった。あなたのためにやってるのに、って言葉が怖い。

「LGBT流行ってますよね」という言葉には背筋が凍りついたけど、「ごめんなさいね、この人おじさんなんで」も間違ってるよなと思った。さすがにおじさんみたいなことは言わないだろうけど、隣のお姉さんに自分がなってしまわないか怖くなった。

最後に海辺で踊るシーンは一果が本当にきれいだった。凪沙がいたことで一果がバレエを続けられて、凪沙に一果がいてくれて、一果に凪沙がいてくれてよかったってシーンだったと思うけど、この一果の姿は凪沙さんがどれだけ願っても手に入れられなかったものだよなと思うと悲しくなった。

最近みた窮鼠はチーズの夢を見るとの話。そもそもが同性愛とトランスジェンダーの話だから全然違うんだけど、窮鼠が社会との関わりのことは極力描かずに当事者同士の話にしてたのと真逆でミッドナイトスワンは社会との関わりとか生きづらさのことを描いた作品だったなという印象だった

バレエのシーンはどれも素晴らしかったけど、1番好きだったのは夜中に公園で一果が凪沙に教えてあげながら2人で踊ってるところでした。

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