消えゆく手=非集権の時代 その2

 前回消える手の話をした。今回は1990年を境に起きた大転換について述べることとしよう。今回紹介する両者の見識を合わせた図をご覧いただきたい。

出典:RIETI国際シンポジウム 情報技術と新しいグローバル化:アジア経済の現在と未来(配付資料)

 まずは、Pomeranz's (2000) The Great Divergence に基づいて話を進めることとしよう。
 西暦1000年頃世界のGDPの50%はインドと中国が占めていた。当時、英国を筆頭に欧州はアジアを目指したのである。本当は今の北米に流れ着いたのにインドだと思い込んだ輩迄いるほどだ。ところが1820年を境に今日のG7諸国がこのシェアを奪い始めてインド中国は凋落する。大分岐(great divergence)が起こった。

 18世紀後半以降イギリスをはじめとしてヨーロッパでは産業革命が展開され工業化が急速に進んで生産力が飛躍的に発展した。ヨーロッパにおける生産力の飛躍的発展の結果、経済的に圧倒的な優位に立ちアジアは従属的な地位へと置かれていくことになる。大分岐に関してこのような理解では1990年に何が起きたのかの説明ができなくなる。産業革命という題名が悪いともいえる。これはInnovationを技術革新と翻訳するのと同等にたちが悪い。

 1820年に起きた大分岐は「所有」と「知財」と「秘匿」と「標準化」時代への大転換である。それこそが工業化の本質である。

 産業革命の本質は輸送革命であった。輸送革命は動力革命であった。英国国内では運河に次いで鉄道が発展した。それだけではない。船舶の原動力が帆船から蒸気船に変わった。この結果英国のみが偶然身近にあった石炭と、新市場アメリカという幸運で発展したという考えは甘い。輸送革命がもたらしたのは消費と生産の分離であると同時に、知識も財も独占して所有し秘匿したものが富を得られる時代となった。

直感的に理解するなら、なぜラッダイト運動が発生したのかを考えてみればよい。それまで知識と力を占有していたのは労働者だった。それらを奪ったからだ。

 動力革命はそれまで人力だった職人技の知識と熟練を機械へと転移させ、動力とそれを応用した機械を庶民一個人が所有できないものにした。マルクスを紐解くまでもなく疎外と尊厳のはく奪が起きた。所有する資本家がこの世を支配する時代となった。ジョン・ラスキンの論説でも読んでみればそのことは容易に理解できる。そして、機械を多く所有したものが富を占有することとなる。

 この当時の経営の要は付加価値の源泉となる作り方を占有し秘匿することである。これを具現化したのが工場である。概念が知的財産である。工場は城壁で囲い生産の知識は秘匿したものが富を永続的に占有できる。そのことにより原料輸出国では原料がどのように付加価値がついているのかすら知ることができず原料ゆえに安価に買いたたかれる。これは今日の知財の南北問題の根底でもある。この体制の下では堀を高く巡らせた施設の中に作業をするための労働者を出勤させ、その作業内容は秘匿しておくことが肝要である。よって出勤という行為そのものに意味がある。そして壁の内では効率という概念のもと手を動かすことのみを求めた。Operational Excellence時代であった。経営の見える手(The Visible Hand: Chandler 1977)もこのような状況を背景にしている。この時代には、自前主義と垂直統合が勝ち手なのである。

大統合の時代へ
 1990年を境に大転換が起きた。所有・知財・秘匿・標準化の時代は終焉をむかえたそして大統合の時代The Great Convergenceが到来した。Baldwin(2016)The Great Convergenceに沿って話を進めることとしよう。この論のみそはサブタイトル Information Technology and the New Globalizationにある。

 1990年までG7に富の集中をもたらしたのは、偏に知的財産の流動費用故の不均衡に基づく。故に、秘匿は最大かつ最高の効果と権力をもたらす行為である。しかし、ICT革命によってこの不均衡は消失した。知識が国境を越えて移動することが容易になったのである。秘匿が無意味化された。その結果、所有が意味をなさなくなった。所有は情報の非対称性に裏打ちされたものにしか過ぎない。

 直感的には今日「シェア」「オープン」が鍵概念となり膾炙されるようになったことからも容易に理解できよう。

 G7諸国内で知財を秘匿独占状態は崩壊した。知識を秘匿し口頭伝承を旨とした大学の講義は今や自宅でオンラインで受講できる。これまでは富を所有したもののみが国境を越えて学びに行けた。今日では富んではいない(多くを所有しないが)優秀な能力を発揮できる人財を世界中から集めるために大学の講義はオンラインで公開されている。勝ち手が逆転したのだ。

負圧の組織へ

 秘匿囲い込みが無意味化すると完成品の国際競争が無意味化する。3Dプリンターで家が造れるご時世に完成品輸出は意味をなさない。知識は個人に(再)帰属するようになったのである。モノより知識、ただし螺旋階段を一段昇って。知識が自由に流動すると組織の壁は障壁でしかなくなる。壁が低いほど情報は流入し還流しやすくなる。研究所は人里離れた秘匿の施設からコワーキングスペースへと移動した。象徴的な出来事はベルリンの壁崩壊である。時代の主概念は、分かち合い(Share)と共同(Co~)となった。出勤が意味をなさない時代なのである。知識は集合知となり成果は個人に還元できない。知識も個人所有よりも個人の寄り合い所帯(集合知)が価値あるものとなる。実はこれは江戸時代の創造的な組織形態なのである。これらのことは、組織の形態を大きく変えた。知財は信頼ないし信用できる共同体内でしか交換されない。経済的取引領域が主領域であった時代から社会的交換領域へと転換したのだ。市場概念が終焉を向かえた。組織の形態は所有し独占し組織の境界線が明確な壁の組織から、共有し滑らかな組織へと変化した。このことを一般に分かりやすく解説したものがあるので紹介しておこう。リクルート社の機関誌Works No.112地方のネットワークに、出現する未来2012年06月の記事である。
 そしてこの内容を要約したのがダイアモンドオンライン掲載「地方の企業・NPOで花開く「負圧のネットワーク」 新たな価値はどう生み出されているのか」である。表は旧態依然とした組織とこれからの組織を2012年に整理したものである。


出典:地方の企業・NPOで花開く「負圧のネットワーク」 新たな価値はどう生み出されているのか

1990年以降の経営の在り方
 個々が知識を所有することではなく、人々の共同が知識を生み出すことに日本がまず気が付いた。野中郁次郎の知識創造理論(Takeuchi, H. and Nonaka, I. (1986) The New New Product Development Game. Harvard Business Review, 64, 137-146.)である。しかしながら、これをいち早く取り入れたのは米国である。知識産業時代に、相変わらず手を動かしている者は廃れる。知識社会において脳みそを動かすのではなく、見える手を強化し作業を続けている日本は生産性と効率の追求にさらに手を動かす。そのうえ、秘匿のためにさらなる高い壁を築くことに邁進し外部からの遮断を強化している。それが平成という失った30年なのだ。

 次回以降では1980年からJapan as No1と称される経済敗戦を認識した米国はどのように考えて経済復興を成し遂げ、一方日本はなぜ凋落の一途を辿っているのかをかんがえていくこととしよう。


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