ネタが好きになったきっかけ

 ネタが好きになったきっかけを思い起こしてみる。

   当時の中学生は深夜番組をザッピングする生態があった。
 偶然つけたNHKに目が留まった。ネタの内容は校歌が流れ、それに一人の芸人が突っ込んでいくというもので、衝撃を受けた。

 番組名は爆笑オンエアバトルであり、芸人は陣内智則さんだ。

 アーカイブで日付を確認するとオンエア日は2002年6月22日(土)だった。
 毎回欠かさず観ていたというわけではないが、間違いなく自分が「ネタ」に興味を持ち始めたきっかけの一つだった。
 チャンピオン大会前に、過去の大会を再放送してくれていたのも様々な芸人さんを知れてありがたかった。思い返せば既にこの時、M-1は行われていたわけだがこの大会に興味を持つのはもう少し後のことだった。

 M-1をリアルタイムで観始めたのは高校生のころ、2005年だ。それまでも、大会があるのはなんとなく知っていたが、観ていなかった。
 M-1という大会をただのネタ見せ大会であり、当時のひねくれた自分はなぜかオンバトの方が上だと思っていた。優勝した人、みんなオンバト出てた人じゃんとかオンバトみてた自分にイキっていた。ダサくて仕方ないが、高校生なんてそんなものだと思う。

 通っていた高校は田舎だったが、お笑い好きのクラスメイトが何人かいた。年末、そろそろM-1だねという話になった。みんな言ってるから過去のを確認してみよう、と過去のDVDを近所のTSUTAYAで借りた。

 2005年に優勝したのはブラックマヨネーズだった。確かに抜群に面白かったのだが、一番くだらなくて笑ったのは笑い飯の「ハッピーバースデー」だったのを強烈に覚えている。

 2006年から、決勝戦の進出者を事前に確認してから観るようになった。応援していたのは、トータルテンボスだった。当時はブログを毎日更新していてくれて、繰り返し読んでいた。M-1で松ちゃんが「もっとウケてもいいんですけどね」と言ったことに対して、二人が喜んでいたのがうれしかった。

 2007年が一番好きな大会だ。応援していたのはラストイヤーのトータルテンボスだった。バイトのシフトを調整し、万全の状態で視聴に臨んだ。
オリラジのあっちゃんを、キャラで迷走中のボケが煙草吸いながら頭を撫でているシーンにグッと来た。
このメンバーであれば優勝できると思っていたが、敗者復活でサンドウィッチマンが上がってきたとき不安になった。
 ネタ順は進み、トータルテンボスの番になった。煽りVの「優勝したいっスね」という大村さんの言葉が重たかった。
 順番もネタも完璧で、これは優勝できるんじゃないか?と想像した。後のキングコングも素晴らしかった。ただ、最後のサンドウィッチマンで不安は的中した。
 結果は史上初、敗者復活戦からの優勝という劇的な幕切れだった。
 大村さんがテレ朝のトイレの便器をぶん殴るほど悔しがっていたという後日談を聞いて、また好きになった。このあたりから、M-1を一つのドラマとして楽しむようになった。

 トータルテンボスが出場資格を無くしてからは、正確にはずっとであるがパンクブーブーを応援していた。長らく決勝に進めないことを不思議に思っていた。
 この頃から、寄席にも通い始めた。ルミネ21時~の寄席のあと、パンクブーブーの哲夫さんに出待ちして写真を撮ってもらった。哲夫さんに話しかけるのは男しかいなくて、NONSTYLEの石田さんは信じられないくらい女の子に囲まれていた。芸人ってモテるんだな、と思った。
 AGE AGE LIVEも観るようになり、応援するコンビが増えた。
 解散してしまったが、ツッコミで撫でたり、ゲンコツで殴ったりする先を行きすぎたコンビだった。

 こちらも解散してしまったが、一言で言えばスターだった。同期に売れっ子が多く、続けていればテレビで観られたのかなと未だに想像する。片方はサラリーマン、片方はトリオで芸人を続けている。

 あるコンビは、タンクトップにダメージジーンズ、ガリガリのロン毛が「いじめっこになりたいよー」と言っていた。ツッコミはピンクのカーディガンを羽織っていた。

 知られていないが、面白い芸人は沢山いることを実感した。その人たちが出演する寄席で、いわゆる地下芸人を知った。その中の一人は後にブレイクし「ラッセンが好き」とテレビで絶叫していた。

 2008年もパンクブーブーは決勝に行けなかった。この年もピンクハゲ頭巾は復活できず、ピンクベストが敗者復活を勝ち上がり大会を荒らした。

 2009年、ついにパンクブーブーが決勝に進んだ。この年は大井競馬場で敗者復活戦を観戦した。勝ち上がったのはNON STYLEだったが、一番笑ったのは、ダブルネームの「チャゲはいいやつ」だったのを記憶している。
 本戦を観ていて、優勝して欲しかったのはパンクブーブーだったが、優勝だと思ったのは笑い飯だった。最後のクラッカーが鳴って、本気で驚いていたパンクブーブーの二人が印象的だった。ずっと応援していたコンビが日の目を浴びたことはとても嬉しかった。

 2010年、M-1は一旦幕を閉じる。社会人になる直前のM-1だ。この年も大井競馬場へ足を運び敗者復活戦を観戦した。勝ち上がったのは前年優勝者のパンクブーブーだった。正直、その時はもう優勝したからいいだろ、1組枠を譲れよ、と思った。(※2009年も思っていました。)
 結果はラストイヤーの笑い飯が優勝するという、最後にふさわしいドラマチックな展開だった。

 2015年からM-1が再開した。敗者復活戦や決勝戦はテレビでチェックしていたが、学生時代ほどの熱量では観ていなかった。2016年も同様だった。何故かと考えると、過去のM-1ほど優勝して欲しいというコンビがいなかったからだ。
 それから数年、久々に応援をしたいコンビができた。

 あるコンビは長髪にボウズ、関XXXXが好きそうな名前の漫才師だ。プリクラのネタで一発でファンになった。給与明細をTwitterで上げていたが、当時はアルバイトでもしていなければやっていけないくらいだった。今は大卒数年目くらいの手取りを貰えているようで安心した。

 あるコンビは、ギャグ漫画をそのまま実写化したような漫才でこちらも一発で虜になった。関西の賞レースでグランプリを取り勢いはあるが、不運も重なり未だに決勝には進めていない。

 2017年、学生時代に衝撃を受けたコンビが初めて決勝に進んだ。ボケの風貌はガリガリタンクトップからムキムキに変わっていた。
 ツッコミの風貌と、やっていることは以前と変わっていなかった。
 一番笑ったのはジャルジャルの「変な校内放送」だった。目を真っ赤にして悔しがる福徳さんが忘れられない。

 2018年、いずれ天下を獲るであろうコンビが優勝した。一番笑ったのはジャルジャルの「国名分けっこゲーム」だった。

 2019年、史上最高と呼ばれていた闘いはリアルタイムで観られなかった。
深夜2時頃に録画をみた。
 心を奪われたのはぺこぱ松陰寺さんの掴みの「ロンリネス」という挨拶と、敗者復活戦の囲碁将棋、根建さんだった。

 2020年はライブビューイングで準決勝を観戦した。誰が決勝に進んでもおかしくない闘いで、誰が優勝してもおかしくなかった。
 本戦の結果でとやかくいう人もいたが、厳選な審査だろう。

 敗者復活戦がテレビで放送するようになってから思うことは、人気投票になるという懸念は確かにあるが、ほとんど世に出ていない芸人が、地上波全国ネットに4分間映るという点で素晴らしいと思う。

 個人的な定義だが、売れる=テレビに出てる人、バカ売れ=テレビに出まくっている人、天下取る=ダウンタウン だ。
 全ての芸人が売れるのは難しい。バカ売れするのは更に難しい、天下を取るのは不可能に近い。テレビ番組の枠は限られているため、自分の中での定義であれば、全芸人が売れることすら不可能だ。
 売れるのは無理でも、努力をして芸を磨き、汗をかいている人たちはせめて「食える」ようになって欲しいと心から望む。
 その思いを胸に、僕は配信のチケットを購入し、好きな芸人のYouTubeチャンネルを回す。

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