日蓮大聖人の言葉 『可延定業御書』かえんじょうごうごしょ 8


命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり。法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし。


                       文永11年(1275)2月7日執筆〈弘安二年とも〉
                                   『昭和定本日蓮聖人遺文』862ー863頁

(訳)


「寿命」というものは、生きている人間にとって第一の宝であります。一日でも、これを延ばすのであれば、千万両の金も越えるほどの価値があるものとなります。『法華経』という経典(教え)は、お釈迦さまが説かれた全ての経典の中で、どれよりも勝れている教えであり、それは法華経を説かれた教主である釈尊の寿命が、始まりも無く終わりも無い永遠の存在である「久遠」であることを説かれた如来寿量品(法華経の十六番目の章)が存在しているからなのです。

(解説)

このお手紙は、文永12年2月、身延に住していた日蓮聖人から、富木常忍(後の日常)の妻(富木尼)へ与えられたものです。その内容は、病床にある富木尼に対し、阿闍世王・陳臣、そして日蓮聖人の実母が蘇生されたという例を挙げたうえで、「閻浮提の人(=現在に生きる私たち)の病の良薬」と説く法華経を深く信ずれば、どんな病や悩みも平癒すると慰められました。そして法華経の信仰を勧め、同じく日蓮聖人の信者である四条金吾が医術に堪能であるから、治療を依頼しなさいと指示し、平癒の祈願することを述べ、闘病生活を激励されているのです。

(思うところ)


私たちに与えられた「生命」はとても尊いもので、一日でも長く生きることは、金にも超える価値があるのです。そして、私たちはお釈迦さまが説かれた教えの中で、最も尊いとされる法華経に出逢えました。法華経を説いた仏さま(=教主)は、「久遠実成の本仏釈尊」であり、その寿命は「久遠(=永遠)」であります。如来寿量品の偈文「自我偈」には、「常に法を説いて無数億の衆生を教化して」「常に此に住して法を説く」等とあり、教主である本仏釈尊は常に私たち(仏弟子)を教化してくださっているのです。釈尊の存在が久遠であるということは、お釈迦さまの教えのなかでも、法華経に至って初めて説かれたのであります。

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