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ある田舎町について


8歳の冬に見た、関西国際空港。

たぶん、心の底から感動した瞬間の中で一番古い記憶。とくに透明のエレベーターを見たとき、ここは地球か?宇宙か?なんて感想を抱いたように思う。高い天井を大きく吸って、未来を見た。

関空に来たのはこのときが2回目で、1回目に来た3歳のときの記憶なんて覚えていない。

こんなことを書くと、どこかの帰国子女と間違われそうだが、そんな遠い世界とはまったくで、私は小さな頃から母の故郷であるフィリピンへ行くために、関空を利用していた。



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8歳の記憶。マニラ空港に到着し、外に出ると、小学生くらいだろうか。子どもたちがガヤガヤと私たちのような外国人に向かって言葉を放っていた。着いた瞬間から狙われる。格差というものを「肌」で感じる。


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ここから母の実家のある田舎町へ帰る。新幹線はなく、10時間の車での移動。道はガタガタとしている。小刻みに揺れる体はすぐに酔う。景色はうすいベージュ色。お世辞にもいい旅とは言えない。でもここを通るしかない。

何度も休憩を挟んで到着。母は日本にいる何倍もの大きな声で家族や親戚たちと会話。いとことも再会した。

8歳の冬の記憶をたどってもこんなモンであった。


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18歳の夏にもう一度フィリピンへ帰った。このときの記憶はとても新しい。

相変わらず関空の天井を見上げるたびに、ああ、出発するんだなと実感する。透明のエレベーターには感動しなくなったが、いつ来てもこの場所の空気感が好きだった。


道が綺麗になっていた。新しいモールも建っていた。何度も来ている両親は変わっていく田舎町を見るたびに喜んでいた。

新しい建物くらい、日本だってえげつないスピードで建っていくのにな、と、私はぼうっと眺めていた。


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けれど、まだまだ空気はベージュ色な気がした。少し町から外れると、子どもたちが川で洗濯物を並べて干していた。森のようなところの中に小さな学校があった。外は車やバイクの音でうるさく、ぎゅうぎゅうに人が乗っているバスがあり、道路にはさまざまな人がいて、こわかった。

家のトイレは広いけれどユニットバス。ご飯を食べるたびに私はお腹を壊した。台所に置いていた日本製のしょうゆをかけてサラダを食べると涙が出た。

ただのしょうゆが、とても、とても美味しくて。


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その町の体育館のような場所で、チアリーディングの大会のようなイベントを見に行った。学校か、地域かは分からなかったけれどそれぞれチームにわかれ、いとこのチームの観客席で、迫力のあるパフォーマンスを見た。

いとこのチームが始まった。チアたちに負けないくらい、観客の応援が激しい。この国はとことん遠慮しない。応援の仕方が分からないまま手をあげてみた。熱狂した。


まだまだ記憶に新しいことがたくさんある。ロープ1本で大自然を駆け降りたこと、雨のなか小船で海をわたったこと、18歳の誕生日に成人式のようなイベントをホテルで開催したこと。

日本では見ない大きな蛇を間近で見たこと。モールでジョリービー(マックみたいなとこ)でジャンクフードを食べたこと。Wi-Fiが無くて困ったこと。近所の学校まで散歩したこと。


なにか知識を得たわけではない。決して綺麗な観光地に足を運んだわけではない。「オーストラリア留学します」「研修でヨーロッパに行きます」「ニューヨークの大学に進学します」「世界で活躍するために〜」「世界について知りたいので〜」。これらの単語と並べると、頭を抱える。


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それでも、8歳の冬より、心を動かされた景色を吸収できた。世界について知りたいと思い世界に行くのと、何も知らずに世界に行くのとでは、果たしてどちらが「本当の世界」を知れるのだろう。



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大人になってから徐々に知っていったこと。東京と地方の学力・文化の差。国際結婚の離婚率は80%という数値。日本の若い世代の死因トップが自殺である事実。

大人になってから徐々に思い出すこと。空港前にいた子どもたち。煩雑な道路。なにかを食べるたびに壊れていく体調。

思いのほか速く流れていく世界のスピードと、追いつけないさまざまな課題。ひらかれていく格差は決して東京と地方のはなしだけではない。

世界幸福度ランキング1位のフィンランドの冬は極寒である。私が行ったフィリピンの幸福度ランキングは52位。世界治安ランキング6位の日本はフィンランドよりも上。だけど日本の幸福度ランキングは62位。


幸せになるためには、世界を知ることが1番ではないかと思う。


私たちは、いつまでも「東京vs地方」のはなしをしている場合ではない。それぞれの世界に必ず「幸せ」と「不幸せ」が交差していることを、1番に知るべきだ。

どこの場所、どこの国にも必ず、必ず幸せな空間がある。そこに自分が行くか行かないか、そこで何をやるかやらないかのシンプルなこと。


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あの田舎町に何度でも帰りたいかと言われたらやっぱり頭を抱えるけれど、それでもあの町は私の大切な故郷である。血の繋がった親族が、和気あいあいに暮らしている。あの小さな世界の片隅を思い出すたびに、私も私なりに幸せを見つけていくと決めていた。あれから辛いこともたくさんあったけれど、なんとかここまでやっているのだから。


透明のエレベーターで人は感動できるし、光の当たらない小さな田舎町にも人は感動できるんだよと、あの頃の8歳の冬に伝えたい。



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