喜界島で買ったドレッシングが引き寄せてくれた思い出
奄美大島に1週間ワーケーション滞在をした。滞在期間中、ふと『大島だけではなく、他の離島も行ってみたい』と思った。
1週間滞在したゲストハウスの宿主さんに『おすすめの奄美の離島ってありますか?』と聞いたところ、与論島を勧めてくださった。しかし出発しようとした前日、奄美空港から与論空港への航空券が完売していた。当日、キャンセル待ちで空くこともあるのでなんとか出発時間ギリギリまで粘ってみたが、最後まで空席の文字はなかった。
次に候補に挙げていたところが沖永良部島。しかしここは、奄美空港から徳之島空港で乗り換えて行く必要があった。ちょっとめんどうだな、と感じてまたの機会にした。
そこで最後に挙がったのが、『喜界島』。
喜界島とは、奄美群島内で最も鹿児島市に近く、奄美大島からは東へ約25km先に位置する離島。奄美空港から喜界空港まで約10分。楽しい体験になりそうだ!と思い、喜界島行きのチケットを購入した。
いざ飛行機に乗り、離陸から着陸までの時間を測ってみると、本当に約10分。離陸3分後には着陸体制に入って思わず笑ってしまった。
こんな感じで、とにかく喜界島には何があるのかほとんど知らず、側から見れば飛行機という名のアトラクションをただ楽しみに来ただけの奴だった。
到着時間は夕方。ゲストハウスにチェックインして、少し仕事をしたあとに晩ご飯を探す。今日は金晩だがお酒は奄美大島でしこたま飲んだため、なんとなく定食が食べたかった。そこで『明砂呂』さんを訪れた。
ハンバーグをいただく前に、サラダを食べた。
え?
ほんのり甘いオリーブオイルの味が口いっぱいに広がる。サラダを食べる手が止まらない。奄美大島でたくさんの美味しいものを食べすぎて舌が肥えまくっているのかと思いきや、そんなことはなかった。ビールを飲むスピードより、サラダを食べるスピードのほうが速い。おっと、食べすぎるとあっという間に無くなってしまう。私は手を止めた。
サラダにかかっているドレッシングが美味い。
これは喜界島のドレッシングなのかと思い、お会計時に『ドレッシングとても美味しかったのですが、喜界島のドレッシングですか?』と店員さんに聞いてみると、明砂呂さん特製のドレッシングだそうだ。
一応販売してるんですよ、とおっしゃった。たしかにレジ横にはお菓子などに紛れて2本並んでいた。店員さんの私物ですと言われても気づかないくらいポツンと置かれている。ほとんどノリと勢いで来た。喜界島の滞在時間はまだ3時間ほど。さすがにお土産を買うのは早すぎるか?いろんなことがよぎる前に、私は口を走らせた。
『ドレッシング、購入します!』
値段はたしか800円。あまりにも勢いで買ったもんだから値段がうろ覚え。無くなったらケースを持って購入してくれると100円引きになるよ、とのこと。
正直、なかなか来れない喜界島にまた来ることなんてあるのかな、なんて思った。
だけどなんとなく、本当になんとなくだがこのドレッシングの味を忘れてはいけない気がした。
お店を出て夜風に当たりながら、さて、喜界島で何をしようかとのんびり考えた。
***
次の日の朝。土曜日。奇跡的にレンタカーが空いていたのでとりあえず車を走らせる。海岸に行ってみる。見たことがないきれいな花を見つける。
また車を走らせる。
山、海、サトウキビ畑、石垣、サトウキビ畑。
タイムスリップしたかと思うくらい、原始的な町並み。
ガジュマル巨木という大きな木を見に行く。テーバルバンタという展望台みたいなところへ行き、約6年前に形成されたサンゴ礁からなる段丘を眺める。段丘を眺めていると、すこしだけ日が差した。奄美は最近ずっと雨だった。
太陽に照らされた喜界島の町並みがエメラルドグリーンに見えた。それくらいとても美しい景色で、私は思いきり深呼吸した。
せっかく晴れてきたのでまた海岸に行く。ドライブが楽しくて楽しくて、夢中になって気づけば島を3周していた。夕方、レンタカーを返す。今日の晩ご飯をどうしようかと悩んだ。
そうだ。
サラダを買って、あのドレッシングをかけて食べよう。
レンタカー屋の近くにはローカルスーパーがあった。ちょっと宿から遠いけど、ここで買おう。惣菜とサラダを買い、外に出る。午後5時。まだ明るい。スギラビーチという大きなビーチまで歩く。空港近くのビーチなだけあって、人がそこそこいる。音楽が聞こえる。
なんだか、もう少し歩いていたい。
スーパーまで戻って宿に帰るルートのほうが近道だが、遠回りして散歩しながら帰ろうと思っていたそのとき。
『乗っていく?送っていくよ』
うしろからゆっくりと車が近づき、声をかけられた。
車にはおじいさんと、おじいさんのお孫さんである10代くらいのお姉さんが乗っていた。びっくりしすぎて『え?え?あ、えーっと』みたいな反応をしてしまう。助手席に乗っていたお姉さんがどうぞどうぞという。後部座席のドアが開くと、中学生の弟さんが乗っていた。お言葉に甘えて車に乗せていただいた。島民のご家族だった。
え、なんかこれ、映画で見る『田舎町を歩いていると住民の方が車に乗せてくれるシーンでは?!』と謎に興奮していた。
興奮を隠しきれないまま車内ではいろんな話で盛り上がる。『どこから来たの?』『なんで喜界島へ?』『じいちゃんは若い女に目がないからねえ』『わしはさすがに2人がいなかったら声かけてなかった』
『10分くらい時間ある?ローカルスポットを案内してあげるよ』
なんとおじいさんたちが、あまり目立たない戦跡を案内してくださった。
まずは空港近くにある「中里戦闘指揮所跡」。
昭和20年に太平洋戦争の沖縄戦が開始されると、喜界島の飛行場は重要な最前線基地となり、喜界空港はもともと海軍の飛行場だったそう。特攻機の中継基地にもなっていた。昔は中まで入れたそうだが、今は封鎖されており、外観しか見ることができなかった。
指揮所跡のまわりは普通の民家が並ぶ。マンゴーやバナナの木もある。草むらをのぞくと、朝、海岸で見た花をまた見つけた。
『この花の名前ってなんていうんですか?』
おじいさんが答える。『お目が高いねえ。この花は島では特攻花って呼ばれてるんだよ』。続けて弟さんが『僕らにはただの雑草にしか見えないのに』と笑う。
次に「掩体壕」という、飛行機を爆撃から守るために作られた格納庫を訪れる。お姉さんが掩体壕に向かって『あー!』と叫ぶ。よく響く。かなり立派で大きい。
『そういえば私、数年前に不発弾みたいなものを見たんですよ』
『沖縄戦が終わってもし日本が降伏してなかったら次の戦地は喜界島だと言われていたよ』
『ここが戦地になってたら、私たちは生まれてなかったかもね』
お姉さんと弟さんが笑う。おじいさんも優しい目で2人を見つめる。なんだか私は、大切な何かを見た気がした。ただそこに生きているという事実がどれだけ奇跡なのか。原爆、地上戦、大空襲。大きな被害に遭った場所は繰り返し報道されるが、日本にはまだまだ、私たちが知らない小さな戦跡がたくさんある。
***
宿の近くまで送迎してくださった。おじいさんが『また会いたくなったら連絡して』と、チラシを渡してくれた。名刺持ってないの?と聞かれたとき、noteのQRコードが印刷された名刺を作っていればと思った。いつか作ってみよう。
宿に帰ってスーパーで買った惣菜とサラダを出す。明砂呂さんのドレッシングをかける。ふと振り返る。
このドレッシングを買ってなかったら、あのおじいさんたちに会えてなかったのかもしれない。
とても長い1日だった。喜界島の景色と3人を思い出しながら、サラダを食べる。やっぱり、ほんのり甘いオリーブオイルの味が美味しい。
縁とは本当に不思議である。
そもそも与論島行きの航空券が完売していなかったら、私は喜界島へ一生行かなかったかもしれない。
定食屋ではなく居酒屋へ行ってたら、ドレッシングは手元にない。
そしてドレッシングを買っていなかったら、あのタイミングでスーパーに行き、あのタイミングでサラダを買うことはない。
サラダを買ってスギラビーチを歩いていなかったら、3人に出会うことはなく、戦跡も知らずに帰っていただろう。
そして朝に出会った特攻花の名も知らずに帰っていただろう。
(特攻花の正式名称は「テンニンギク」だそう。)
サラダを完食。ごちそうさまでした。なかなか来れない喜界島にまた来ることなんてと思っていたけど。ドレッシングがなくなったら、また必ず喜界島へ行き、ドレッシングを買いに行こうと思った。
勢いで買ったドレッシング。こういう買い物も、悪くない。
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