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76年

志樹逸馬(1917−1959)という人がいる。
13歳でハンセン病と診断され、亡くなる42歳まで療養所での生活を余儀なくされていた方だ。この方は紛れもなく詩人であるが、その詩が注目されたのは死後のことで、私自身、その存在を知ったのはここ最近だ。

ハンセン病といえば今となっては治療法も確立され、そこまで心配する病気ではなくなったが、当時は不治の病であり、伝染力が非常に高いというデマが流れたことで、ハンセン病患者は強烈な差別と偏見に晒されていたようだ。

人生の大半を療養所で過ごした志樹さんは多くの詩を残しているが、その一つを紹介したい。

「土壌」という詩だ。
志樹さんの生きた時代は、かの大戦中だった。病気により徴兵こそされていないが、療養所で生活する志樹さんに、世界はどのように見えていたのだろうか。この詩には、単なる言葉を超越した力のようなものを感じる。

「土壌」
わたしは耕す 
世界の足音が響くこの土を 
全身を一枚の落ち葉のようにふるわせ 沈め 
明日の土壌に芽生えるであろう 生命のことばに渇く 
誰もが求め まく種子から  
緑のかおりと 収穫が 
原因と結果とを一つの線に結ぶもの  
まさぐって流す汗が ただいとしい  
原爆の死を 骸骨の冷たさを  
血のしずくを 幾億の人間の  
人種や国境を ここに砕いて 
悲しみを腐敗させてゆく 
わたしは おろおろと
しびれた手で 足もとの土を耕す 泥にまみれる
いつか暗さの中にも伸ばしてくる根に 
すべての母体である この土壌に ただ 耳を傾ける


志樹さんが草木などの大自然に感じていた神秘。

人種や国境を ここに砕いて 
悲しみを腐敗させてゆく

腐敗した悲しみは、新たな土壌を作り
新芽を生み、若葉を育む。

私たちは子どもたちに、
どのような土壌を残すことができるだろうか。
それは、日々をどのように歩むか、ということだろう。そう考えると、無駄な一日は決してないと感じる。

更なる76年後、2097年という未来に咲く花を想像する。

すべての母体である この土壌に ただ 耳を傾ける。

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