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宇宙のお腹

もうすぐ子供が生まれる。
自分が親になることはまだ想像ができない。

8ヶ月前、妻が今まであまり見たことのない微笑みを携えて何かを見せてきた。僕は妻の顔とそれを交互に見た。「マジで!」
非常に乏しい語彙で反応してしまったが、この時の反応は多分、何度やり直してもこうなる気がしてしまう。まだ確実ではないから近いうちに産婦人科に行くと妻は言った。蓋の開いた妊娠検査薬の箱には『99%以上の正確さ!』と書かれてある。意識したことのなかったこの数値を突然突きつけられ、ほぼ100やん。と思った。
もちろん望んだことだったし嬉しかった。
それでも手放しで喜べない何かがあった。

産婦人科で妊娠は100%になった。
初めの数ヶ月こそ、絶対安静の時期もあったが妻の体調も安定し、近しい人には報告することができた。妊娠の報告をすると、もちろん祝福の言葉をかけてくれたし、嬉しいでしょ?という問いかけを何度か頂いた。その度に「嬉しいです。まだ実感がわかないけど」と答えた。嘘ではない。でも、自分でも掴みきれない何かを誤魔化している感覚があった。

そんな僕の感覚とは関係なく、妻のお腹はどんどん膨らんだ。後ろから見たら全然わからないけど、横から見るとドーンと大きくなった。ボコッと動くことも増えた。それは赤ん坊の自己主張の様だった。

ある日、胎児や出産について調べていた。
胎盤から巡る血液の循環が成人とはだいぶ異なることや、オギャーという産声は羊水で満たされた肺を乾かすためで、同時に血液が一斉に肺に向かっていくことだとか。
「赤ちゃんは命懸け」という見出しの記事を読んで確かに、と納得する。ここまでの大きな身体的変化は今後死ぬまで起きないのではないか。呼吸法や体内の構造まで変えてしまう。あんなに小さな赤ちゃんがその変化を乗り越えるのだ。なんという神秘か。

そう思った時、手放しで喜べなかった理由が少しわかった。
子供が生まれることで、もう妻とふたりだけの時間を過ごすことはない、ということだ。
なぜこの理由を意識できたのかは分からない。探してたものが思わぬところから出てきたようだった。

成人すればふたりの時間ができる、という解釈もできるが、本当の意味ではもう二度とこのふたりの時間はこない。
この気持ちはなんとも形容しがたい。嫉妬と呼ぶには愛情が滲んでいるし、哀愁すら漂う感覚がある。

とにかく僕は既にお腹の赤ん坊に、形容できないような感覚を与えられるほど多大な影響を受けていた。

それでもお構いなしにこの子はどんどん大きくなる。1㎜の受精卵が赤ん坊になっていく。妻のお腹には宇宙が詰め込まれているようだ。
その大きさを前に、僕はなんと小さいことか。

でもね息子よ。
僕らがもうふたりだけの時間を過ごすことはないっていうのは本当だよ。そんな簡単に手放せる気持ちじゃない。だからこそ大切に思うんだ。君が生まれるでの残り数日を。

それが分かるとね息子よ。
君のことが急に愛おしくなったよ。
『喜べない=愛せない』んじゃないかって不安だったんだ。でもそうじゃなかった。愛してるけど、喜べないことだってある。複雑だね。

そんな複雑さも、君と共有できたらいいな。多くの人が君の誕生を待ちわびてるよ。元気に出てこい!

君が生まれてからの果てしない希望に思いを馳せて。

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