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4月15日

「花冷え」と言いながら、mは一枚だけ洗っていなかったセーターを着て出かけた。私はホットマットの上で羊毛フェルトを仕上げる。

年賀状で、友人が猫を亡くしたのを知る。友人が長い旅行の時は、わたしがたびたびお世話に通った。人見知りで、灰色の美しい猫。
なんと声をかけていいかわからず、春になってしまった。誕生日にかこつけて、お悔みをいわなくちゃ。彼女は、昔わたしの作ったへぼいぬいぐるみを大事に飾ってくれている。小さなぬいぐるみを作ろうと思った。

記憶をたどって、細面の輪郭に近づける。オリーブグリーンの眼を思いながら刺繍糸で目を入れると、存在がきゅっと近くなり、悲しくなった。なるべく抽象化して作ったが、もしかしてすごく嫌なことをしているかも。考え過ぎるのをやめて、完成した猫を包んでクッキーと一緒にさっさと送ってしまう。

人が猫をうしなう悲しみは想像よりずっと深い。3年前に死んだ実家の猫を思うと、いまだに胸が苦しくなる。mなどは20年前になくした猫がたひたび夢に出て、目覚めて猫がいないことに気づいてまた少し泣く。

昔、愛犬をなくしたyにbが「天国にいる犬」の絵本をあげたことがあって、yは泣きながら怒っていた。無神経だ!と。bはわりと無神経な言動が多かった人ではあるが、図書館で働いていて知ったこの絵本が、yのなぐさめになるかと贈ったはずだ。しかし、悲しんでいる人によけいに涙を流させることは無遠慮なふるまいなのかもしれない。近しい犬や猫を失うたびに、思い出す出来事である。

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