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スキを押すことはアートだぜ

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読みいただけたら幸いです。

コンビニにいくと
停めづらい駐車場はいつものことで

なんとか端に止めると
隣にデイリーヤマザキのトラックが停まり
荷下ろしが終わるまで閉じ込められた

これは軟禁だ!
と騒ぐこともなく
まぁ携帯をみていた

結構スキを頂けている
自分もそうだから3分の2くらいは
読まずにスキされているな(笑)
そんな想いが脳内をリフレイン

今回きちんと読んで
くれようとくれまいと
スキを押してくれた気持ちには返したい

もし、俺が画家か作家になれるような
そんな機会にこの先、恵まれるなら
それは、作品の技量ではなくて

スキやいいねを返した
結果のことだと思うんだ

そういうスキに意味はないという人は多い
俺も時にそう思い、そう思わない
そういうタイミングを何度も繰り返していて

今は意味があるなって
再び思い始めているんだよ

毎回スキをつけてくれとか
そういうことでもないし
読まなくてもスキをくれたら
嬉しいし、そこから
なるべくそのアカウント見に行く

1日のうちのわずかな時間
それも数秒のこともあるけども
それが連続になると
なんとなくそのアカウント
その裏側にいる人の雰囲気を少し
知れていく気がするんだよ

3日、10日、1か月、1年、3年と
その過程で見かけなくなることは
お互い様だろうとは思うけど

また不意に再会すると
少し「知っている」くらいが
心地よかったりする。

そうした方がいいよとか
そういう話ではなくてね
俺は俺に課しているだけのこと。

まぁ数が多くなれば
全てに返し切ることもできないけども

誰に忖度なく記事を書いているからには
逆に読みに行くのは規則性を
持たせたいだけの事。

最新記事の古いスキから
順にまわっていく。
そして記事が出ていれば開いて
スキを押すけども

長いとなるほどザワールドのきんきん
ばりに、はい消えた!っていって
スキを押す(笑)
まーまた回答権限はやってくるさ(笑)
と何様目線

本質は何か?って話じゃない?

その記事を読んで欲しいの?
自分を少し知って欲しいの?

結局そこにつきると思うんだ
この絵が素晴らしいから買おう!
も嬉しいのだけど

きゃらをが描くから絵が欲しい!
そういう自分になりたいし
それって整合性のようなものを
担保しないといけないと思っていて

それは昨日今日言葉が上手な俺ではなくて
最後まで手を抜かないのだなと
(結構抜いているけども)
と、毎回思ってもらっていたら
信頼感というか安心感ってあるじゃない

何をいったかではなくて
誰がいったかがとても大切に思う

だからさ、スキをくださる方の中には
極端にフォローされている数は多いのに
ご自身は10アカウントもフォローしていないと

申し訳ないけどnoteには
スキ制限もあるからね
余裕がないと後回しになる。

今の俺とは考え方が
少し違うんだ。

あといきなりフォローをされてきても
スキをくれていないフォローには
スキをくれてからでなければ
基本的には返さないんだ

これは矛盾している気もするけど
なんだか自分自身よくわからない
そんな最低限のルールのようなものがあって

単に数字を増やしたいわけでもない
そもそも数字ではないからね

書くこと(描くこと)だけに
集中しても大丈夫だよと言われるほどには
そこそこ読み物としても見てもらえる
そんな気はしているけども

それだときっと踏み外すんだ

アーティストの定義をみて改めて思った

多くの人が気づいていないけど
スキを押すことも
1つの作品だということに。

今の俺は画家になりたいからね
ならば絵を描く事だけではなくて
それ以外の時間を大切にしたいと思う

たぶん、それが最短ルートなんだよ。

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