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映画「花束みたいな恋をした」の話〜転じて、平凡なんてないよねという話

※ネタバレというほどでもないけどそこそこ核心に迫る話が出てきます
※感想と見せかけて途中から思想つよめの話になります

先週。映画「花束みたいな恋をした」を見てきた。
とってもいい映画だった、あの、見たあと言葉出なくなっちゃうタイプの。

恋愛がメインテーマの映画をひとりで観に行くのはさすがに初めてだった。
何を思ったかオーバーオール×パーカー×リュックで観に行ってしまい、カップルに挟まれたらどうしよう!と危惧していたが、意外とおひとりさまが多くて安心したよ。

例によってあらすじ


東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った 山音 やまね 麦 むぎ (菅田将暉)と 八谷 はちや 絹 きぬ (有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!
──これはきっと、私たちの物語。


いや、まあ、うらやましいよな

自分の言葉で雑なまとめ方をすると、
サブカルちっくな幻想の中で生きる大学生同士が出会って一緒にしあわせな時間を過ごす!だけど時間は無慈悲に流れてふたりは社会人になり価値観も変わってゆく、果たしてふたりはサブカルちっくな幻想を維持できるのか!?
みたいな。

率直に言ってふたりの生活はうらやましかった。
だって自分と趣味の合う人と四六時中過ごせるのとか最高じゃないか!?
相手が楽しめなかったら申し訳ないな…とネガティブ発揮してライブに人を誘うことすらできない自分にとって、そういうセンス?みたいなものが一致している人と恋愛するなんて、まさに夢物語。
そう、夢物語であったからこそ、ひとりの人間がサブカルの心地よい沼から抜け出して社会化していく過程を目の当たりにするのは結構しんどかったけど…


一番印象に残ったシーンが…

作中、映画監督の押井守さんが目と鼻の先にいるというのに「ショーシャンクの空に」や実写版魔女の宅急便の話をし続ける男女に対し、麦くんと絹ちゃんがモヤモヤする場面がある。
私にとって一番印象深かったのは数多の幸せ描写や、終盤の切なさ満載のやり取りではなく、このシーンだった。

押井守監督は知らなかったけど、私も同じような気持ちになることはしばしばある。
私の場合は、あまり親しくない人と音楽について話すときこうなることが多い。
「バンド好きなの?じゃあ○○好きでしょ!?」って言われたときとか。
いや、○○は確かに名前聞いたことあるし有名なのは知ってるけど、そうじゃなくて…!みたいな。もどかしさ。

でも、このモヤモヤとかもどかしさって、実は結構恥ずかしいものかもしれないなと最近思う。

平凡でない(ように見える)ものに触れたとき、人はその「平凡でないものを知っている自分」をステータスにしてしまいがちだ。
よくある「お前音楽好きって言ってるくせに××も知らないの!?ニワカだな」的態度は、まさにこうした価値観から来るものだろう。
平凡な人々が知らないものを知っていることで、あたかも自分が「平凡な人々」から抜け出して特別な存在になれるかのような。

実は平凡なものなんてなくて…

(ここでろくろを回す)

例えば大ヒット上映中のAという映画があって、同時に知る人ぞ知るBという映画も公開されているとしよう。Bを見た人は、Aを評価する人のことを「ミーハー」「思考停止」「感性が貧困」などと言うかもしれない。口が悪いね。
さっきまでの話に当てはめると、Aを見て感動した人は「平凡」ということになる。

でも、本当に「平凡」で一括りにしてしまっていいのかな。
Aを評価する人たちには、それぞれ全然違うバックグラウンドがある。
同じものを見ていても、それぞれ違う色の眼鏡をかけて見ているようなもので、要は見え方なんて全然違うはずなのだ。
だから、Aを見て感動した人たちの心の動きって、言葉にできるかできないかの差はあれど千差万別で、つまりはみんなが特別で、だからAを評価するからといって「平凡」とレッテルを貼る余地なんてどこにもないんじゃないだろうか。

話を強引に映画に戻す

じゃあ、麦くんと絹ちゃんはどうだったのか。

話せば話すほど趣味の良さが分かる二人は、はじめ確実にお互いにとって「特別な人」だった。
でも、趣味に仕事に二人の関心が離れ、自分たち自身の平凡さに気づいた瞬間、魔法はあっという間に解けていく。
別に初めから二人は全然平凡だったけど、だからといって代わりは決してきかない、唯一無二の存在だ、ということにもっと早く気づかなければいけなかったんだと思う。
いや、人と人が一緒に過ごすの難易度高すぎだろう…などと思いつつ。

そういえば羊文学がちょこっと出てくるというのは事前情報で知っていたので、出てきたときはちょっとニヤニヤしてしまった。クライマックスのトリガーみたいな役割果たしてて良かったな(羊文学について書いた記事はこちら)

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