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【彼の話が聴きたい私】

#働き方改革  #働き型革命
#キャリアコンサルタント

 
父、建男が死んで、10年になる。
 
7月の下旬だった、と思う。
 
多分。
 
 
というのも、当時、
私は、末期がんの父と、
その介護をする母と、
会わないことになっていた。
 
会わないということに、決めていた。
 
 
前年の11月。
 
 
最後のお別れを言うために、
私は、
会津若松市に帰った。
 
 
市内最大の規模である、
武田病院に、
父は入院していた。
 
 
最後に話した言葉は、
あまり覚えていない。
 
 
特に、
たいしたことは、
言ってなかったよ、と記憶が言う
 
 
ホントかな、、、
 
 
最後に見た建男は、
昨年他界した、こちらは、99歳まで生きた、
彼の母親、
つまり、
私の祖母の85歳頃の姿に、
とても似ていた。
 
 
分かりにくいな。
 
 
64歳で、末期がんで、残り9か月の建男は、
85歳の、彼の、生みの親と、酷似していた。
 
 
力が、どこにも入っていない感じ。
 
よく言えば、スルッとしていた。
 
ザラザラしたモノは、一切感じられず、
フワッと、そこに、座っていた。
 
そして、少しして、横になった。
 
体力が、残っていないのだろう。
 
 
あぁ、
そういえば、

なんでここにいるんだ、

みたいなコトを言われたな。
 
 
ちょっと、帰ってきたよ。

みたいに、
返した気がする。
 
 
やっぱり、あまり覚えていない。
 
 
久しぶりに見る、また、
末期がんと分かって初めて、
かつ、最後に顔を見た彼に、
私は、驚いていたのだ。
 
 

その年の夏。
 
 
つまり、建男が息を引き取る1年前頃。
 
 
今では殆ど見なくなってしまった、
公衆電話からの、着信があった。
 
 
出ると、少し怒った声で、こう建男が言っていた。
 
 
お前、余計なこと、するな。
オレには、オレの考えがあるんだ。
 
 
そりゃ、そうだろう。
アナタにはアナタの考えがある。
人間だからな。
 
でも、
余計なコトは、
私は、していないはずだ。
 
 
でも、
とりあえず、私は答えておいた。

そう、
それは悪かった。
じゃあ。
 
 

 
余計なコト、、、
 
 
そうかもしれない、な。
 

今なら、
彼の言葉の意味と、
わざわざ電話してきた複雑な想いが、
分かるような、そんな気がする。
 
でも、絶対に、
分かることなんてない。
 
そんなに簡単なモノではない。
 
そして、
他人の想いが、
分かるなんてことは、
絶対にない。
 
分かったような気持ちになる、
が、
あるだけだ。
 
 
それで、いい。
それで、十分なんだ。
 
 
しかし、私は、
ほんの最近まで、
ホントに分からなかったし、
分かることができると、
信じても、いた。
 
 
だから、
その公衆電話からの、
建男の言葉が、
許せなかった。
 
 
私は、
その電話の少し前、
1週間ぐらい前かな、
彼と50年以上の付き合いである、
ノリオさんに、
電話した。
 
 
すでに末期がんで、
武田病院に入院していること、
そして、
会いに行って、
励ましてほしいということ。

2つだけ。
 
 
ノリオさんは、
本当に、建男のことが好きだし、
建男も、ノリオさんのことが好きだった。
 
 
もっと、ずっと昔、
私が子供の頃、
10歳ぐらいかな、
ノリオと建男の電話での大喧嘩を見た。
 
 
これも今は亡き、
ダイヤル式の黒電話の受話器を、
おもいっきし、
割れるぐらい、
叩きつけた父。
 
 
その頭の中の映像が、
私には、
大人の友達との喧嘩の代表例として、
残ってしまっている。
 
 
すぐに、
仲良く二人で酔っぱらって、
帰ってきたりしていたので、
大人でも、子どもと一緒で、
喧嘩するほど仲がいい、と、
言えるのだと、私は思った。
 
 
で、
そのノリオさんへの、私の電話が、
建男には、どうしても、嫌だった、
と、
私が、勘違いをしてしまっていた。
 
 
でも、
それが、
ありがとう、の意味“も”あったことは、
のちのち、なんとなく、知ることになる。
 
 
もちろん、
残念なことに、
建男が死んでから、
だけど。
 
 
だって、わざわざ、電話してこないでしょ。
 
 
彼は、シャイな男だった。
 
彼の本音というのを、
私は知らない。
 
 
自律神経失調症、
まぁ、
現代日本の象徴、
うつ病、だけど、
建男は40を少し過ぎて、
薬を飲んでいた。

今の私と同じぐらいの、
諸々ある、歳の頃。
 
 
長年の彼の職場での役割が、
彼の身体の問題が影響して、
徐々になくなってしまった。
 
それが、原因だと思われる。
 
 
来る日も来る日の、
夕方の再放送の、
『大岡越前』を観ていた。
 
そして、
それが終わると、
ビールを買ってきて、
500ml缶を2本ぐらい、
毎日、飲んでいた、
と、これもあやふやな記憶だ。
 
とにかく、
彼は、繊細な男だった。
 
 
だから、
私が勝手に、
ノリオさんに、
知らせたことが、
物凄くイヤだった。
 
と、同時に、
これが人間の厄介なところだが、
感謝の気持ちもあった、のだと、
あとあと、私は知ることになる。
 
 
今の私だったら、
職場での役割がなくなった、
薬を飲む前の、
『大岡越前』の前の、
彼の話を聴くことができるかもしれない。
 

そして、
私は今、
彼の話を聴きたい。
 

ゆっくり、
リラックスして、
彼の生き辛さや、
彼のやりたいこと、
彼のそのときの感情を、
私は、
ほんとうに聴きたいのだ。
 
 
当たり前だが、
それは叶わない。
 
絶対に、
叶わない。
 
 
でも、
彼のように、
苦しんでいるヒトの話は、
聴くことができる。
 

少しは、役に立つかもしれない。
 

それが、
私の仕事になる。
 
 
さてと、
今日は日曜日。
 
 
新橋に行って、
丸一日、
楽しいお勉強を。
 

 
そう、
キャリアコンサルタントになるために。
 
 

それでは。
 
【いつか、また、どかかで】

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