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書くのに1年かかりました(追記:illustrated by さとこちゃん)

1年前の2022年1月17日から3月26日まで、私は北海道におりました。

School For Life Compath(以下コンパス)さんがつくっている、北海道東川町でのフォルケフォイスコーレ。(詳しくは上記公式noteをご覧くださいな)
そのロングコースの一期生になりました。
ずーーーーっと、コンパスでのできごとをnoteにまとめるぞ…と思い続けて、もう1年が経ちました。本当にごめんなさい。。ようやく、まとめようと思えて、だらだらと書いていこうかなとnoteを開きました。

1年前の私も、なんか今と似てるなあ。自分がどうしたいのかわからなくて、卒業後の先が見えなくて、一旦休んでみるかと思って、コンパスに応募をした。
大学を休学して、なんだか無性に引っ越したくなって友達に無理を言って手伝ってもらって、あれよあれよと時間が過ぎっていった感じ。
香さんと早紀さんに面談をしていただいて、行く理由もうまく話せないまま1月になった。初めての北海道、雪嫌いだけど生きていけるかな…ていうか共同生活大丈夫そ??ずっと不安しかなかった。

東川町に着いて、夜。宿泊する施設に入り、自分の部屋に入る。はい、ここから「初対面鬼態度悪いモード」発動してます。本当にごめんなさい。自覚はあります。
ひとりでお弁当を食べて、荷物を整理して眠る。明日みんなが集合するからがんばらないと。

共同生活は、やっぱりしんどかった。
一対一で関わるには人数が多くて、部屋も4人で、ご飯は曜日ごとに分担して、対話をする時間が多くある。まじで何回授業休んだかな。そもそも起きれないし、その前にシャワーを浴びるのもめちゃくちゃ苦手。生活をすることで精一杯だった。
でもみんなでご飯食べるのって、すごく楽しかった。4人部屋も、なんかだんだんわかってきて、「これしとくね〜」「ありがと〜」みたいな何気ないやりとりに、家族みたいだなって思えた。人と一緒に、他人と一緒に生活するのってこういうことか〜。

選択できる授業があって、写真コースかクラフトコースの中で、私は写真コースを選んだ。和田さん本当にごめんなさい。。私は嫌いなわけじゃないんです。。最初と最後しか授業行ってないって冷静に考えるとすごい。学校だったら成績出してくれないもん。
でも写真撮るの楽しかった〜。なんでもない日々のすがたを、私だけの目線で撮る。最後の発表でも、「境界線」をテーマに、私は「日常にある非日常と、非日常にある日常」を表現した。コンパスでの日々は、日常であり非日常でもあった。

詩の授業をさせてもらえた。
「詩になることば」というテーマで、私の詩をもとにアンサーポエムをみんなに考えてもらう。そして、みんなが書いてくれた詩について、それぞれに感想を残す。
私の詩を読み解く時間、みんなが詩を考える時間、詩を文字に表す時間、それぞれが書いた詩を読む時間、それぞれの詩に思うことを書く時間。全部がすごくよかった。
私は自分で企画をすること自体初めてで、ましてや詩の授業なんてできるんか…と思っていたけど、それぞれがそれぞれの内側に想いを馳せて言葉を紡いでいる姿が、私にはとても幸福な景色に見えた。みんな詩書けるじゃん!!
みんなも楽しんでくれていたようで、嬉しかった。なにより、詩を書く行為を通して、私のことを深く理解してくれたようで、とても嬉しい。
詩の授業は、またどこかでやりたいなあ。

修学旅行にも行った。
美瑛・富良野方面に、みんなで決めた場所に行った。
宿泊先でみんなですき焼きした時間最高だったなあ〜。家族っていうか、共同体っていうか、なんだかとにかく私はこの関係性にいるみんながとても大事だと思った。

終わりが近づいてきて、文化祭を開催した。
東川町でお世話になった人に、見に来てもらえるように、そして3ヶ月でどんなことをしたかを表現するために。
私は、「詩のゲリラ〈認識する〉」を創作した。まじでこのテーマかっこいいと思ってる。東川町複合交流施設〈せんとぴゅあⅡ〉の図書コーナーをお借りして、私の詩を展示させていただいた。人生でこんな経験ができるとは思っていなくて、とてもすごい経験をさせてもらえたと思う。すごくたくさんの方にお力添えをいただき、OKギリギリのラインを攻めて大丈夫な許可をいただき、想像以上の展示ができた。
新しい詩を書いたり、本の形に仕上げたりする過程が、私が今まで詩を書いてきた中でいちばん幸せな時間だった。アドレナリンが出まくっていて、毎日時間が過ぎるのがあっという間で、もっともっと詩を書いていたいと純粋な気持ちでいっぱいだった。
お世話になったみなさまに、またいつか私の詩を見てもらえるように、がんばろう。

最後に、卒業式があった。なんでかめっちゃしんどかった。
写真で全然顔を見せられなかったから、あの集合写真は正直言うと好きじゃない。
しんどくなってしまったなあ。やっぱり私は自分と向き合うことがどんな状況でも変わらずあって、そこから逃げる事はできない。逃げたくもないし。
結局ずっとみんなに心配をかけて、不安にさせて、モヤモヤさせていたんじゃないかと、今でも申し訳ない気持ちが残っている。

途中、ワーケーションコースの人たちが合流したとき、私は「来てよかったと思えるようになりたい」という目標?を立てた。あの日めちゃくちゃしんどかったなあ。
今は、確実に「この経験をして、みんなと時間を過ごせたことは本当に良かった」と思える。でも、そこに私の成長が伴っていないような気がして、うまく消化できていない。感情は「行ってよかった」だけど、行動が、1年前と変わらない。だから、コンパスでのことをまとめるのに1年かかった。
この1年、うまくみんなとコミュニケーションを取ることができなかった。やろうとしていたことが、自分の中で進めることができなくて、結局任せることになった。
みんなはそれぞれに変化しているのに、私だけずっと同じ場所にいる。ずっと自分と向き合って、しんどくなって、詩も書けなくなって、やりたいこともわからない。
堂々巡りをしている自分が嫌で、みんなと距離を置いた。
みんなに会いたいです、とても。大好きだから、私のことを嫌いになってほしくないから、自分で壁をつくっているのです。私はとても手間のかかる人間なのです…自覚してます…

これから生きていく中での、目標がふたつできた。
ひとつは、詩集をつくること。つくるつくる詐欺し続けてますが…
コンパスを経て、私にとっての「豊かさ」の指標のひとつは、「表現できること」だと発見した。自分と対話する時間や余力があるとき、私は言葉を紡ぐことができる。反対に、時間に追われているとき、気持ちに余裕がないとき、生活に余白がないときは、何も書けない。「ゆめゆめ〈感情の墓場〉」がただただ増えていくだけ。(怖い)
言葉で表現することは、私をつくること。そして、私にしかできないことをする時間は、とても豊かに思える。コンパスで、そこに気がつけてよかった。
コンパスでお世話になった方々に届けられるように、詩集を作りたいと思う。なかなか会えないけれど大好きな人たちに、私を届けるために、詩集を作りたいと思う。どうにか、自信を持って発表できる詩集を作れるように、がんばります。

もうひとつは、「私は私でよかった」と思えるようになること。どうしても、自分を肯定することが難しい。特に、私の性質である、HSPに関すること。今は、HSPを持っていることが、つらいほうに作用することが多い。あれができない、これがしんどい、そんなことばかり考えてしまう。けれど、コンパスでの時間の中で、詩を書いたり、人との関係を深めたりするとき、「これって、いい方向に作用してるかも」と思えることが多々あった。でも結局普段の生活に戻ったら、そんな簡単にはいかなくて。
私が、詩を書くことや、人と関わることを、これからも続けていって、どこかで、「あ〜私でよかったな。この性質を持って生きてきてよかったな。」って思えるようになりたい。それってすごく幸せなことだと思う。


コンパスにて「花野は待てる人だよね」と言ってもらったことがる。
いちごジャムを作ったとき、いちごが煮えるのをじっくりと待っていた。
自分と対話するとき、言葉になるのをゆっくりと待っていた。
「待てる人」と言ってもらえたことが、なぜかすごく嬉しかった。
私は今、とても生き急いでいる。就活が終わらない。やりたいことがぼんやりとしている。家族から、いろんな人から、卒業後は何するの?と聞かれるたびに、自分は社会不適合だと思う。私は私のことを待てなくなってしまっている。
今焦ってつまらない回答を出したくない。私らしい、ときめくことをしていたい。
せめて私だけは、私のことを待ってあげられるようになりたい。


ようやくコンパスのまとめが終わりそうです。全然まとまってませんが。。
でも、今の自分の気持ちを整理できたような気がします。
1年かかったけど、今の私を受け取ってほしいと思って、noteを書きました。
またみんなで、会えたらいいな。

おわり

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