引越し

とうとうこの部屋で暮らすのもあと二日。となった日の今.

この数週間色々何が起きたか、引っ越し前の部屋で書くことにします。

実は3月の9日にアメリカvisa面接に行きその場で却下されました。

いまだトラウマであまり深く書きたくないのが本音。めちゃくちゃ落ち込みました。私の望みはNYに行きたい。だけどそれが叶わないのかも

と、だいぶ悲観的になり3日、いやもっと一週間くらい凹んでましたw

母には、そんな暗くならず実家帰って楽しくバイトでもしな!と言われたw(3月末で退職して実家戻る予定でした)

とは言われても、本当に ”不安” しかなかった。でも、時間が経つに連れて何も状況は全く何もかも変わってはいないのにも関わらず、元々の明るくポジティブな自分に戻れて行ったのは、いつも周りにいてくださる方のおかげです!お客様にもめちゃくちゃ優しいお言葉いただき施術終わってお客様帰った後涙ポロポロだった日もありました。いつも本当にありがとうございます。

3月末で仕事を辞め(9月に退職届受理してもらってた)、3月末で今の家を退去し、という流れを作っていたのだけど、visaがなければ何もできないので”家無し無職”で実家に帰る予定なってました。

でも、まさかの出来事が起き始めて

今勤めている会社の社長から電話をいただき、『留学いけるんか?』と聞かれて。社長はどっちかというとコロナのこと心配してくれていました。本気の感謝!ありがとうございます!!

『今は行けないです。(まずビザ却下されたし)家が3月末退去なので広島の実家に帰るしかないです。』

と言ったところ

家借りるから今の店(今働いているお店)で働かないか?もしくは広島の店舗で勤務でも良い、とのことで退去5日前にこちらに残れることになりました

なので、今住んでいた家は退去しますがまた再び関西に住むことになりました。

私は、社長に対して感謝しかありません。ありがたいことに一年残ってほしいと交渉してもらい、だけど私的にはビザ再申請さえ出来ればすぐ動きたいと思っていたので一年は約束できませんと言ったところ、会社に家まで借りてもらってるんだからどれか飲んでくれないと困る(そりゃそうだ)それならご迷惑おかけするので広島帰ることにします。と即決したところ、「んーじゃあ半年でいいから関西!」っと電話を切られ関西決定になりました。自分の気持ちに素直に、その時に適切な言葉で伝えることがめちゃくちゃ大事だなと感じた出来事でした。

無職は免れたけれども、いまだビザは手元になく今後取れる保証もないし不安もありますが願いは必ず叶うと言うことで今は今の環境でベストを尽くして生きていけるよう頑張ります。(追記:この時はコロナで緊急事態宣言を出すとも全く思ってなかった時でした。)

12年ぶりの引っ越し〜

長く暮らしていた場所から新たな場所に移動するためにたくさんのものを捨てたり、一人で運ぶことが不可能なので他の方に依頼したり。

物を捨てるのも無料ではなく、代金やルールがあり調べたり。経験したことのないことをするのはエネルギー消費が激しい。

家を持たずに生きていく人がいるのもわかるな。

家具や物がなくなり荷物を業者さんに預けた後の部屋は空っぽで、自分しかいなくて、こうなるまではこの街にきた日のことなんか自分の記憶からなくなっていると思ってました。

でも空っぽの家を見て蘇った記憶は、この家に住む!と決めたあの日の自分の感情でした。

その時の私は以前働いていた会社の寮からの一人暮らしだったのでこれからどんなことが起きるのかワクワクしていて、不安より楽しみの方が多いような感情だったような、、でも過去って美化されますよね

こうして12年が経ち、外面、内面的なことも変わり、どのくらい成長したのだろう?とふと考えました。

人はいろいろなことを忘れたり覚えたり記憶として保存しつつ生きていくんだね。

あの家はいろんな思い出があるけど、これからどんどん忘れていくんだろうなー。

最後大家さんに鍵を引き渡し終えて、私が荷物を持ってありがとうございました。と家を出ていく時、私の家の中には大家さんがいて。私が出て行ったのだけど

なんだか変な気持ちだった。「ここ私の家なのに」みたいな感情w

でも、もうここには戻ってこないんだなーと。

ちょっとエモい感じだけど、本当の本当の精神状況は、正直それどころじゃない気持ちで引っ越しました。

読んでくれてありがとうございます。


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