ミュージシャンに宿る「地方性」を愛する
例えば、フジファブリック。
かつて、そのバンドでギターボーカルとして活動していた志村正彦は、自身の地元である山梨県富士吉田市のホールでいつかライブを開くということを15歳のころから夢見ていた。念願叶ったその日、彼がSEとして流したのは自身がかつて中学生の時にこのホールで歌った「大地讃頌」だった。「この曲を歌うために、ずっと頑張ってきたような気がします」と語りながら歌う「茜色の夕日」という曲は、志村が18歳のころに上京して一番最初に作った曲だった。志村が29歳で亡くなり、山内総一郎がギターボーカルとなって以降、志村の作った曲は「山内版」としてその多くがライブにて披露されている(その中でも一番有名なのが「若者のすべて」だろう)が、この曲についてはライブで披露されたことが一度もない。
例えば、サカナクション。
サカナクションというバンドで活動している山口一郎が作る曲には、しばしば東京をモチーフにしたものが登場する。「モノクロトウキョー」などまさにそうであるが、例えば「ネイティブダンサー」という曲は、北海道と東京の風景が重なったものだという。彼自身が東京を語る時、そこにはいつも自身の地元である北海道との対比が存在している。
2019年にバンドがリリースしたアルバム「834.194」のタイトルの由来は、彼らの地元である北海道と東京を直線で結んだ距離を表している。アルバムのタイトルとしてしまうほど、彼らにとってこの対比は根源的なものだということなのだろう。そんな背景を見通すと、例えば「忘れられないの」で描写されるような"新しい街"というのはまさに東京であり、ここで過ごす日々への愛憎が実にアンビバレンスに歌われているのだという解釈の余地が生まれる。それは"つまらない日々"であり、"素晴らしい日々"だということなのだろう。
彼らの作る音楽には「地方性」とでも言うべきものが内包されていて、それがひとつの特徴になっている様子が窺える。「地方性」というのは自分が持ち出した言葉であるが、「逆フロンティア精神」とでも形容してみると良いかもしれない。東京において、東京でないところにて生まれ育ったということはひとつの武器になる。それで以って、自分たちの手が届かなかった大都市に手をかけていくのだ。時にそれは彼らの意図を超えたところでの魅力、何ならビジネスすら生み出している(試しに"富士吉田 志村"でgoogle検索をしてみると良い)。もっとも、志村にしても山口にしても、最初から現在に至るまでそうした「地方性」をウリにしていこうという気はさらさらなかったのだろうとは思うが。
これは、例えば同時期に近いラインで活動していたBase Ball Bearというバンドには内包されないものであった。彼らの出身は東京・千葉・埼玉であり、曲やナラティブの中に"東京"がキーワードとして登場することは無い。登場したとしても、例えば「ユリイカ」のような他者としての東京ではなく、自身のアイデンティティとしての東京だろう。彼らが浦安市の高校に通っていたからといって、「小岩から浦安に通っていたこと」が「ユリイカ」を作り出せるかと言うと、それは分からない。その代わり彼らには、「高校生の頃から下北沢ガレージでライブに出演していた」という、いかにも都会的なナラティブが内包されていて、だからこそ生み出される曲というのもたくさんあるのだけれど。例えば、「彼氏彼女の関係」という曲で登場する"街"は、おそらく東京が舞台でなければ成立しない。
もちろん、そうした「地方から東京へ」をモチーフにしたような曲はたくさんある。このラインで言えばやはり外せないのはくるりの「東京」であろうし、チャットモンチーの「東京ハチミツオーケストラ」なども秀逸である。けれども、上述した2つのバンドほど、こうした「地方性」が全体を通して一本の軸として貫かれているバンドはあまり無いのではないかと思う。志村が富士吉田で生まれ育たなければフジファブリックは生まれず、山口一郎が小樽で生まれ育たなければサカナクションは生まれなかったはずだ。それは「岸田繁が京都で生まれなければ立命館にも行かず佐藤征史との出会いもなかっただろう」というレベルの話ではなく、彼らがそこまで生まれ育ったことそれ自体が彼らにとって外しようのない一丁目一番地のアイデンティティになっているのだということを言いたいのである。
山口一郎は15年前にかつて「アイデンティティがない」などと歌っていたが、それは単に自覚がないだけだけで、傍目から見れば彼が小樽の人間であるということはそれ自体がアイデンティティとして成立していたのではないだろうか。無論、東京で15年過ごしたことで遂にそれを得たという話なのかもしれないし、そんなものは所詮主観的なものでしかないのだが。だが、「忘れられないの」で日々のある側面を肯定したというのはそういうことなのだと思うし、それによって彼はひとつの物語の終焉を見ているのではないかと思う。ここまで書いて気付いたことだが、要するに「地方性」というのはカントリーなのだな。志村にとっての茜色の夕日というのが、要するにmountain mamaということなのだろう。
最後に少し自分の話になるが、中学生だったころ自分を虜にしていたのはフジファブリックであり、高校生の自分を虜にしたのはサカナクションであった。彼らを自分が好きになったのは、曲調というよりもむしろその歌詞や人物像だったようにも思っている。だいたい、この手のバンドを好きになる人間というのは「曲が好き、歌詞はおいといて」のような人間が多く、この曲のここのコード進行がニクい、みたいな語りで盛り上がっているのだが、自分はあまりそういったものにはついていけなかった。それはひとえに自分の言語化能力の未熟さゆえでもあった。
今なら、「カントリーロード」的なものが好きなのだと、コミュニケーションを取ることもできるのだろう。そういえば、応援しているサッカーチームのサポーターは、いつも選手入場時に「カントリーロード」を歌っている。ひょっとしたらそういうところから、自身のアイデンティティというものもまた作られていくのだろうか。
最後に、こうした「地方性」を軸に持っている(と私が考えている)、私の愛するバンドをもうひとつ紹介してこの文章を締める。
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