20240811/小説(1)〜(4)

小説(1)

店の外では女が眠ったまま吐いている。吐瀉物に濡れた自らの髪の毛で溺れている。
さっきまで彼女が酒をあおっていた店の中は暗く狭い。始発が出るまで訥々と酒を売りつけるためだけにある機構の暗さと狭さだ。1杯は1728円。都会の家賃のせいで、客が少ないせいで、店主に3人目の子供が生まれたせいで、アルバイトを雇ったせいで、値上がった末の数字なのだから安いものである。因数分解すれば2が6乗に3を3乗。すっきり、簡単な数字、安心で安全で信頼で明朗。

店の中では、奥のソファー席に男女2人組、カウンター席に男1人、カウンターの中に店主の男が1人、加えて女店員が1人、分布しつつも1つの暗く狭い空間を共有している。5人の会話には特有のリズムがある。それぞれがこの世で最も苦労しているかのような口ぶりで喋るときに生まれるリズムだ。5人は外で吐いている女の存在をすぐに忘れてしまうが、責められる謂れはない。扉の外にいては目に見えない。あの女のことが見えていない理由は物理的要因に過ぎない。ただ、カウンター席の男客は45分ごとにはっと席を立ち、店の外の女の仰向けを横向きに直す。始発が出るまで、彼はあと3回、溺れた女をひっくり返すはずだ。彼と女は今夜が初対面だそうだ。

店主はあくまでも店の主人である。店の外は当然、管轄外である。

女店員は時給1500円で雇われているアルバイトだった。腹が痛かった。耳に入る客の会話がつまらなかった。たったの1500円でつまらない会話に耐えることができた。可能だった。読書家を自負していた。読書家は腹痛にも耐えた。ひそかに鎮痛剤を2錠飲み込む。24錠1306円で購入した鎮痛剤は1時間後には効いている。1時間後の財産は1500円増えているし、その上、この腹痛も消えている。24錠分の支出は十分精算できる。

腹痛に耐えるため屈ませた上体を誤魔化すならば食器洗いは好都合だった。客の会話も水音で上塗りして、まだ耐えるために、計算、であたまをいっぱいにする。例えば1時間後の+1500円−鎮痛剤の1306円=194円、194=2×97、194−2−97=95、95=5×19、95−5−19=71。

小説(2)

出来事や体感を言葉に落とし込むと、出来事や体感そのものは遠ざかっていく。一般的にそれが事実を過去にしていく行為だからなのか、私が今まで日本語で嘘をつきすぎたからなのか。

小説(3)

恋人の生年月日8桁を素因数分解した。だからといって何かがわかるわけでもないのですが。奇を衒いたかったのかもしれない。恣意的に、「この世でここだけにしかない関係性」に仕立て上げようとしたのかもしれない。

小説(4)

帰りの電車内で本を開いた。苔類に関する新書だ。定価本体1800円+税と印字されているが、図書館で借りた女店員には関係のない数字だった。

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