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その罪悪感は本当に必要か

物を大事にできない

消化していく毎日

コンテンツが増えた

好きなものが増えた

一つのものを大切にしなければいけないという価値観

その価値観こそアップデートすべきではないか

ただ闇雲に「こんな自分は嫌だ」「だめだ」と感じる罪悪感を

心地よいものにしていないか

本当にそれは苦しめられるべき感情なんだろうか

大切にできていないのか

次から次へと出る楽曲、アニメ、ゲーム、ストーリー、キャラクター

私が大切にしようがしまいがそれらの作られる過程はきっと同じで

0から1を生み出す苦しさを知っているから尚更

大切に愛していきたいと思う

だけど時間は有限で、抱えきれないほどの愛すべき存在がいて

私は一人で何者になろうとしているのだろう

選択肢が増えることは良いことだと信じて生きていた

選択することは捨てること

選ぶことができるものが増えるということは、相対的に捨てなければならないものも増やしていくということ

抱えきれないコンテンツの山から目をつむって自分が抱えられる量だけ持って行く

その後ろでその山にはどんどん継ぎ足されていって

私の腕に抱えきれず目にすることもないことが、本当は私の人生を大きく変えるものだったりするかもしれない

そんな”かもしれない”を永遠に傍に置きながら

私は自分の手の中にあるものを好きで満足で、たまに捨てて

また新しいものを拾いに行く

供給され続ける私の好きなこと

それが幸せだと思う反面

不幸せな感情とも友達で

物事は捉え方次第だとわかっているから

その罪悪感は本物か

ちゃんと輪郭を確かめて

必要、不必要感じ取って

自分を苦しめることを求めているのかもしれない

本当は必要ないのかもしれない

今日もそんな少しの罪悪感を思い出しながら、幸せの空気に浸かっている

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