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共感を呼ぶ、を否定したくなる気持ちもわからなくないんだよね

わが家にも、2匹のネコがいます。
窓から飛び込んできた風変わりな馴れ初めのレヴィと、譲渡サイトのご縁っていう王道ルートのコタ。どちらも、いわゆる保護ネコです。

運よく、なんて人間のご都合主義とは言え。
すやすや寝て、もりもり食べて、すくすく成長しているのを見るにつけて、悪くないくらいには思ってくれてると信じたいところですけどね。
ぐるぐる喉を鳴らすのを聞いても、本当のところはわからない。
推して知るしかできないエゴの集大成が、ネコと暮らすってことかも。

だから勝手に共感されても素直に頷けない、なんて分からなくもなくて。
気の持ちようなんだろうけど、そう感じることもあります。
そんな構え方というか向き合い方に一方的なシンパシーを抱いちゃうことも多いのがイシデ電さんの作品たち。
なかで、とくに話題になったらしいこちらが書籍化されたようで。

KADOKAWAから、て葛藤すごかったろうなって勝手に思っちゃったり。
ごりごりに押されて、あれよあれよと出ちゃったのかな?
折角ならアホほど売れちまえと祈らんばかりです。

すっかり模範的善行になった”生きものを保護すること”の中で、とくに手が届きやすいのがネコじゃないかと私は思います。
でも当たり前だけど暮らしてる”うち”の子なんで、とやかく指図されるのも違うし、ありがたがられても意味わからないし蔑まれても大きなお世話で。
そういうの、ちょっと横行し過ぎてないかって気がするんですね。
想像しやすい共感性に飛びついて金儲けするのもいいけど、そういうとこでやってないことまで、よくあるテンプレートにはめ込んで凡庸にしなくちゃ気がすまないのは何なんだろう。
なんだか気持ち悪いなぁ、って思っちゃう。

これはノンフィクションのドキュメンタリーで、お涙頂戴じゃない。
”愛猫が亡くなる現実”に思いを馳せて肝に銘じるから涙が出るのであって、ネコちゃんかわいそ、と相憐れんで欲しいものでもないはずで。
共感を呼んだ...なんて安っぽい売り文句は真っ向からお断りのイシデ電さんの、ポッケくんとの絆には踏み込ませないスタンスは素敵だと思う。
私もこうありたい。

かわいそうかどうかは、きっとネコのほうで決める。