No.14

2020年11月1日

「私、中村憲剛は川崎フロンターレを引退します。」

川崎フロンターレ一筋18年
No.14 中村憲剛選手が引退を発表。

サッカー選手の引退はいつかはやってくるものであり、避けられないものである。

自分はこの会見が行われてた時は岡山にいて、ファジアーノ岡山対ジェフユナイテッド千葉の試合を観戦しており、ちょうど後半キックオフした辺りで引退を知った。

前日である10月31日の昼間に川崎フロンターレのYouTubeチャンネルに記者会見のページが作成されてることを知った。
SNS上でもそれは広まり、しばらくするとそのページリンクは消されていた。

今までいろんなことをしてきたクラブが「重要」とまで書いて会見をするからには相当なことなんだろうと思っていた。どこかの企業と大型のコラボする時もこんなことはしなかった。南極の昭和基地とのコラボ企画の時でさえも。クラブの不祥事や経営悪化等の話であれば先にリリースが出ているはずなので考えにくかった。それらの可能性を排除した上で会見が必要になる内容といったら引退会見しか思いつかなかった。

そしてその日の夜行われた多摩川クラシコにて中村憲剛選手は40歳のバースデーゴールを決めたことはご存じの通り。

岡山対千葉の試合観戦していたが、正直試合内容が入ってこなかった。
動揺がすごかった。
自分は1999年から川崎フロンターレを見ているから中村憲剛選手のことはよく覚えている。
だからといって推し選手かといったら違っていた。
象徴であることは間違いないが、自分のなかでは特別な選手ではなかった。

なんとなくの予感もしていたし、構えて引退発表を聞いたが、涙をこらえることは出来なかった。

めちゃくちゃ推していたとか、特段思い入れがある訳じゃ無いけど、中村憲剛という選手の存在は川崎フロンターレの歴史の多くを占めていて、1つの時代の終わりを感じ、涙した。

2020年12月21日

川崎フロンターレの本拠地である「川崎市等々力陸上競技場」にて中村憲剛引退セレモニーが行われた。

チケットは即日完売。

中村憲剛選手に縁のある人々やチームメイト、家族等からのメッセージや記念品贈呈などが行われた。

特に一緒にプレーしたことのあるOB選手登壇の時は18年という歴史がどれだけ長いものなのか実感させられた瞬間でもあった。

セレモニーの最後にはチームメイトから胴上げされる場面もあった。
胴上げされる回数はもちろん14回

数多くの選手とプレーし、与えてきた影響は計り知れない。
年代別代表の経験もなく、無名の状態から入団した華奢な選手が日本代表、JリーグMVPなどここまでになるなんて誰が想像出来たであろうか。
川崎と共に歩んで川崎の歴史に名を刻んだ偉大な選手である。
そして39歳での前十字靱帯断裂からの復帰など様々な困難を克服していった努力家でもある。

そんな選手のプレーが見られるのも最大であと2回となってしまった。
天皇杯、なんとしても優勝して川崎の偉大な功労者のサッカー人生に有終の美を飾りたい。

本当に18年間ありがとうございました。

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