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私的現代アイドル論15~牧野真莉愛のさん付け問題を全力擁護する

  今はもう話題ではないですが、少し前牧野真莉愛(敬称略)の新庄剛志監督(BIGBOSS)の呼び方について話題になっていました。

 牧野真莉愛の呼び捨てを全力擁護します。ヲタは推しを盲目的に肯定するものであるからです。

牧野真莉愛がよびすてしているのは

 まず間違いなく、牧野真莉愛は幼いころからの新庄ファンです。そして、ちび真莉愛が花を渡している画像が有名です。

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左の花を手渡しているのが牧野真莉愛です。こんな小さいときから関係がある?といっていい。こんな時から、ファンだということは知っておかないと、わからなくなります。

 つまり、子どものファンのころからの呼び方を継続しているということです。

呼び捨てでいわれること

 よく、自分が有名人になったら、呼び方が変わります。例えば子供のころは志村けんを「志村けん」と呼び、さん付けはしない人が多いでしょう。大人になっても、普通の人は有名人を呼び捨てにします。それが普通です。

 まれに有名人のほうが、「さん付けされない」と言っているところを見ますが、さん付けはしないものです。この人たちも子供のころは呼び捨てにしていただろうし、有名になった後でも、呼び捨てにしていることはあると思います。

 例えば、外国の有名人は呼び捨てでしょう。呼び捨てにしてはいけないのなら、Mr.,Mrs,Missをつけてなければいけないでしょうし、スポーツ選手も呼び捨てが多いです。例えば、大谷翔平は呼び捨てが多いのではないでしょうか。

呼び捨てが失礼ではないのは...

 呼び捨ては直接的な意味で敬意がないのではなく、自分を相手の世界、相手の平面に含めるということです。若手芸人がダウンタウンを呼び捨てにしないのは若手で無名であっても、その芸人は同じ芸人の世界にいるので、「呼び捨て=失礼」となるとは思います。

 ここから考えると、牧野真莉愛は新庄を同じ世界にいない、ずっとファンであるという意思表示でしょう。ただファンではなく、同じ世界、平面にいる人じゃないということです。 

 逆に、敬語を使うということは、新庄と自分は同じ世界にいることを意味してしまいます。自分と新庄の距離が近づいたということになります。

 つまり、牧野真莉愛は新庄との距離を子供のころから、維持し続けているということです。同じ平面に入らないことで、逆に敬意を表しているのでしょう。

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