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東京2020オリンピック入場曲をCD化して販売して欲しいという件

さてさて、2021年に1年遅れで開催された東京五輪の開会式のあまりのショボさに、怒りのnote記事をエントリーしてからもう1年以上経過した。

やはりというべきか、今になってゾロゾロと五輪汚職が出てきている現状である。「コンパクトで経費がかからないオリンピックを目指します!」といって誘致したにもかかわらず、蓋を開けてみたら使途不明のものも目立つ巨額の予算に膨れ上がった疑惑の五輪、取り仕切った運営委員会及び電通は万死に値すると今なお怒りを禁じえない

でも、開会式で良かったことの一つは、ゲーム音楽が入場行進曲に使われたということである。せめて、この楽曲を発売してくれれば、多少なりともレガシーになると思うのだが、がっぽり儲けた電通に今さらそんな調整を行う意欲はないのだろうか。

東京五輪開会式に足りなかったもの

復習になってしまうが、1年延期になったという事情はあるにせよ、野村萬斎、椎名林檎やMIKIKOらのアーチストチームが解散させられたことが最大の失敗の要因である。

アーチストらが手掛けると、「五輪に向けて全てを出し尽くす」という完全燃焼感のあるものになったのは間違いない。私が見たかったのは「後のことなんか知らねえ、ここで完全燃焼する!」という魂だった。

一方、電通というのは各業界に顔もきくため仕事がやりやすい反面、「まあまあ、五輪はそこそこに、五輪後も引き続き末永くお付き合いをよろしくお願いしますよ!」的なノリになりがちなので、どうしても小さく無難にまとまったものになってしまうのだと思う。

尖がった才能で突き抜けた姿をこそ、世界の人々に見せつけてほしかった。リオ五輪の閉会式の演出を見たら、それができたはずだ。今考えても、まことに残念である。

東京五輪2020の入場曲のCD販売をして欲しいという件

そんな電通が償いをできるとするならば、入場行進の楽曲をCD化して発売することだと思っている。

けれども、ここに「任天堂のゲームがなかった」というのもまた、電通とのドロドロを象徴しているんだよな~

だた、完全なるサブカル扱いでしかなかったゲーム音楽が入場行進曲として選ばれたことは、一種のauthorization(権威付け)の意味があり、サブカルが芸術に昇華した瞬間とも言える。100年したら、モーツアルトやベートーベンみたく、日本のゲーム音楽が古典となっているかもしれない。

そんな歴史的意味合いを持つかもしれないので、今からでも遅くはないよ電通さん。自慢の調整能力を生かして、入場行進の楽曲をCD化して欲しい。それができなければ、このオリンピックには本当に何のレガシーもないだろう。

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