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ケラー・ウィリアムズ・ジャパンCEO山本マーク豪インタビュー

ケラー・ウィリアムズ・ジャパンの始まり


ケラー・ウィリアムズはアメリカ最大の不動産仲介企業のひとつです。ケラー・ウィリアムズは日本市場に進出したばかりです。ケラー・ウィリアムズは2019年7月に日本市場に参入しました。フルコミッションのエージェントビジネスモデルという日本ではユニークな事業形態です。フルコミッションのエージェントモデルは日本では他に存在しません。

私が初めてケラー・ウィリアムズを知ったのは友人であり同僚からの勧めでした。それまで私はケラー・ウィリアムズの日本参入に興味がなかったので友人からの勧めを2度断っていたのです。3回目に彼はケラー・ウィリアムズの代表的なマニュアルである「FSOマニュアル」のコピーをくれたのです。そのマニュアルは私にとって大変興味深い内容だったので、読んで、読んで、読んで、一晩で全てを読み切ってしまったのです。そして私はすべてを読んだ翌日彼に電話をしてこう言いました。「いますぐオースティン・テキサス行きの飛行機に乗ろう!」友人はとても喜び、「まず連絡してみる」と言いました。実際私たちはその翌週オースティンへ旅立ったのです。

私がケラー・ウィリアムズに興味をいただいたのはフルコミッションのエージェントモデルだからです。日本では急速に高齢化が進んでいます。日本は逆プラミッド型の人口分布が加速すると言われ、2030年-2040年には労働人口が激減します。私たちは何らかの方法で労働力を維持していかなければなりません。社会保障や健康保険などを支えるためにますます多くの人に働いてもらわなければならないのです。どうすればより多くの人が活躍できるでしょう?私たちのビジネスモデルに必要な人材の条件は、高度な経験と知識があり、教養があり、知的で、そして勇気があること。そして日本の女性こそ「不動産エージェント」という職業に最も的確な存在です。私はそう確信しています。私にチャンスを与えてくれたケラー・ウィリアムズに感謝しています。

「ケラー・カルチャー」を浸透させ
文化形成を目指す


パンデミックの真っ只中で私たちケラー・ウィリアムズ・ジャパンは9つのマーケットセンターを開業しました。そして現在250名のエージェントが所属しています。全てはモデル通りです。世界中のケラー・ウィリアムズと同様に「ケラー・カルチャー」の浸透が最優先だと考えています。最もインパクトが強いのはケラー・ウィリアムズの組織文化です。世界中のグループ会社ひとつひとつがケラー・ウィリアムズの文化によって支えられています。つまり、ミッション・ビジョン・価値観・信念・理念といったものです。ケラー・ウィリアムズの価値を一言で言うとするならば、それは「お互いを尊重する」ということです。それがグループの特徴です。

私は世界中のメンバーを尊敬し、彼らも私に敬意を払ってくれます。私はマレーシアのCEOやOPを尊敬し、彼もまた私に敬意を持ってくれます。私はイスラエルのエージェントを尊重し、彼もまた私を尊重する。つまり、リスペクトし合うという共通の文化を持っているのです。そしてこれは雇用関係を全く持たない人々の間で行われているのです。このような関係性はケラー・ウィリアムズの文化に最初から埋め込まれているのです。18万人もの人々がこの理念に基づいて活動し、その文化が大切に守られています。これがケラー・ウィリアムズをユニークな存在にしています。

成功から停滞・復活まで


ビジネスにおける私の最初の成功は、「TOHOシネマズ」での事業です。私は28歳の時に英国ヴァージン・グループのリチャード・ブランソン会長と共に日本初のシネマコンプレックス事業を立ち上げ、映画館を作り、運営しました。28歳から始めて、35歳までです。その結果、日本最大のシネコン企業となりました。そして東宝に売却し「TOHOシネマズ」という名になりました。なぜその事業を手放したのかと、よく質問されます。「あなたは35歳で、TOHOシネマズの社長なのに!」と。しかし私は映画界のキングになりたかったわけではありません。私が目標に掲げていたことはとてもシンプルで、ただの若者の、自分本位な目標でした。引退したらビーチのそばに家を建てたい。30代の頃の私の夢はそんなものでした。ビジネスを始めた時は企業経営に大きなやりがいを感じていました。しかし、会社を東宝に売却した頃には、私は日本の映画業界に貢献できることや、映画業界のビジネスマンとしての成長は全てやり尽くしたと感じました。もちろんあと5・6年は続けることもできましたが、自分の将来のキャリアや使命がその場所にあるとはもう思わなかったのです。私は仕事をリタイヤし、ハワイに家を買って移住しました。

ところがしばらく経つと、それが間違っていたことに気づいたんです。結局、私の生きがいは仕事にあったのです。仕事こそ私にとって最も重要なことでした。私にできる最大の貢献は雇用機会を生み出すことです。仕事のないところに仕事を作るのが私の使命です。ヴァージンシネマズを始めるまで、そこには雇用は存在しなかった。しかし数年後には1,200人もの人々が働いていました。今ではさらに多くの人材が働いています。それこそが私の喜びだったのです。

2012年に、日本に戻ることを決意しました。もう一度自分の道を探したかったのです。ケラー・ウィリアムズの事業を始める前にいくつかの事業に携わりました。リタイヤ人材を採用し、第二・第三のキャリアを生み出すことは日本社会にとても有益です。フルコミッション性の不動産エージェントモデルを日本に作り、多くの人が働き、生産性を上げ、収入を得て家族を養い守ることができます。私にとってもこれ以上の使命はありません。会社の経営は楽しい仕事ではありません。私がまだ若い経営者だった頃もっと楽しい日々があるのだろうと思っていました。でも実際に良かったのは3日くらいでした。たったの3日です。六本木ヒルズに映画館をオープンさせた日、1号店の映画館をオープンさせた日、六本木ヒルズとヴァージンシネマズの契約書にサインした日。その日以外の日々はまったくひどいものでした。

しかし、気付いたのです。私にとって経営とは挑戦です。精神的、肉体的、情熱的、そして道徳的な挑戦です。毎日挑戦しています。日々、何か間違っていることがあり、日々、修正しなければならないことがあります。そんな時は自分に言い聞かせます。「マーク、24時間ある」「ベストを尽くすんだ」精神面、肉体面、感情面でも成長するよう努力する、私は最後までこれをやり続けるつもりです。

エネルギッシュな経営哲学


「経営者としての哲学とは?」という質問ですが、ゲイリー・ケラーのポッドキャストをご存知ですか?「Think like a CEO」という番組です。その1話目でゲアリーはこう言っています。

「CEOの仕事とは、エネルギーを生み出すこと、人材を生かすこと、そして結果に責任を持つことである。」

私はこの3つの点についてゲアリーと同意見です。私の経営哲学はこの3つと同じです。最も重要なのはエネルギーを作り出すこと。ベンチャービジネスを始めたら良いことがたくさんあります。悪いこともたくさんあります。それはマラソンのようなものです。ビジネスを成功させるために道を切り拓く。それにはエネルギーが必要です。特にベンチャー企業においては、経営者はエネルギーを生み出さなければなりません。ベンチャー企業はしばしば技術やエンジニアリングに特化してスタートします。だから経営者自身がエンジニアであったりします。マイクロソフトのビル・ゲイツも技術者でした。そこではスティーブ・バルマーがエネルギーを生み出していました。アップルはどうだったか?スティーブ・ウォズニアックという天才的な技術者がいました。そしてスティーブ・ジョブズがエネルギーを生み出していました。それが非常に重要なのです。

私はそのために、自分自身のライフスタイルにおいていくつかの決まりを作りました。ビジネスへのエネルギーを生み出すためにです。その一つに、私は100%のヴィーガンです。全ての人に正しい選択であるとは思っていません。しかし私自身の身体はヴィーガンになってから大きく変化しました。大幅に体重が減り、健康的な指標が大きく改善しました。より多くの活力が生まれました。

そしてもう一つ変えたのは起床時間です。この組織を自分がしっかりとリードしていくためには私自身にもっとエネルギーが必要だと感じました。私は今54歳です。ヴァージンシネマズを立ち上げた時は28歳でした。当時と同じようなエネルギーを発揮することは困難です。どうしたら当時と同じようなエネルギーを持てるのか、オンラインで情報を集めているうちに成功しているリーダーたちの多くが早起きであることに気づきました。それでなぜ早起きが有効なのか勉強しました。それまでは午前六時半や7時に起床していました。面白いことに早く起きれば起きるこどエネルギーが湧いてきます。

私は自分なりに研究を重ね、ある人物に焦点を当てることにしました。アップルのCEOであるティム・クックです。彼は毎朝3時45分に起床します。ティムはリーダーとして尊敬している人物です。彼の朝の習慣についての記事を読みました。ティムが3時45分に起きるなら、私は3時に起きよう。そんなふうに起床時間を決めたのです。午前3時に起きるためには早い時間に寝なければいけません。お酒を飲むことやディナーに出かけることもできません。食べ物についても慎重にならなければいけません。ヴィーガンが自分にふさわしいと考えているのはこのためです。これらの決定はすべて自分がエネルギーを最大限に作れるようにするために意図的に決めたことです。私は54歳ですが、28歳の頃よりもエネルギーがあるように感じます。効果的に働き、存在感があると感じています。社員やエージェントのためにもっと良い仕事がしたい。この会社を成長させたい。これが私にとって非常に重要なことです。

日本の不動産業界の未来を創る


JPモルガンの社長、ジェイミー・ダイモンの言葉で私の好きな言葉があります。

「私の仕事は最良の選択をすることではない。
    私の仕事は最良の決断がなされるようにすること」

私の周りの優秀な人材には私よりもはるかに優れた決断をしてもらいたい。これは私のマネジメント哲学の重要な部分です。エージェント制のモデルに期待が高まってきています。私は日本の不動産業界において、エージェント制モデルが大いに活躍する場があると考えています。これは一般論ですが、日本には古くから伝統的な不動産業界があり、それは高度に組織化され、非常に効率的です。多くの素晴らしい企業が長年にわたり、めざましい業績を上げています。しかし日本の経済や社会は日々変化しています。地方では、不動産業に必要な人口数が不足してきていたり、人口増加のない地域が多く存在しています。市場を維持するための新しい方法が必要です。

また、インターネットの普及によりたくさんの情報を簡単に入手することができるようになりました。個人でも中小企業と同じようにビジネスインフラを利用できるようになりました。これらすべてが、特に小規模なローカルマーケットにおいて、日本の不動産業の未来を創り上げていくでしょう。ローカルな市場では、より効率的な経営が求められます。10年前なら、5〜10名の従業員を雇用できたかもしれません。今はそれはもう難しい。一体何が起きているのでしょうか?地方には今も暮らしている人々がいます。彼らはこれからも物件の売買や賃貸、リースを行うでしょう。しかし、だれがそれをするでしょうか。今、たくさんの会社が縮小を余儀なくされています。私はそこにこそ、不動産エージェント制モデルが既存の不動産業界にフィットすることができると思います。

私はケラー・ウィリアムズ・ジャパンのCEOとして日本の大企業や老舗企業と密接に協力し、現地に赴き、そこで成功した企業から学ぶつもりでいます。エージェント性によるコミッション・モデルの導入が、業界を補完し、より強くするためにどのような役割を果たせるのか学んでいきたいと考えています。エージェント制モデルにこそ日本の不動産業界の未来があると思います。それは革命的なことではありません。破壊することでもありません。既存の業界を補完しうる道を模索しているのです。その道はあります。

私たちはパンデミックの最中にこの会社を立ち上げました。現在、9つの加盟店があり、これから日本各地へ展開していきます。私はCEOとして強調したいことがあります。加盟店のオーナーとして迎え入れた企業や人材、そしてリーダーたちを、とても誇りに思っています。彼らはまさしく一緒に働きたいと思える人たちです。そして素晴らしいことにこれまでの間加盟店のリーダーたちは不動産エージェントにふさわしい人々を選んでいます。エージェント制モデルを日本で成功させるためには、最高の倫理観、プロフェッショナルなビジネス基準、最高の道徳的価値観を持ったエージェントが不可欠です。ここ数年、私が最も誇りに思っていることの一つは、ケラー・ウィリアムズに加入したエージェントたちの質の高さです。不動産について知りたいことがあれば、ぜひ全国の加盟店にお問い合わせください。あなたにふさわしいエージェントをご紹介いたします。どうもありがとうございます。

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