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オタク歴を振り返る④~48後編~

田野優花生誕委員になっていろんな人と出会った
委員には現役高校生からおじさんまでいて幅が広かった
でもみんな田野さんのことが好きという気持ちは同じだった

その頃の僕は毎回2枚くらい券を買うようなライトな方だったが委員の人たちと関わるようになって変わっていった
買う券の枚数も増えたし舞台などの外仕事も観に行くようになっていった

委員の仕事は楽しい訳でもない
握手会場の外でメンバーへのメッセージを集めたり生誕祭での演出を企画してフライヤーや小物を作ったり完全に裏方だ
1年に1回しかないその日のために半年近くかけて準備をするのだ
しかも生誕委員になったからといって生誕祭に絶対入れる訳でもないし、いつ催されるのかは1週間前くらいにならないと分からないのだから社会人からしたら堪ったもんじゃない

けれど大人になって見ず知らずの人たちと1つのものを作り上げることはそうそうあることじゃない
仕事は毎日顔を合わせる人たちとだけど生誕委員はそうじゃない
顔を合わせるのはイベントのときだけ
その他はmixiなどを使ってやり取りするだけ
そんな人達が1つのことに向けて取り組むのは簡単なことじゃない
だからこそ毎年の生誕祭が終わった後の打ち上げは最高に楽しかった
達成感に溢れてみんなはっちゃけていた
平日だし次の日仕事だったりするのに(笑)

そうした経験ができたのは田野さんに出会ったからであり彼女にはほんとに感謝してる
生誕委員の人たちとは今も仲良しだし彼女が出演するイベントがあればみんなに会えるし
僕らをくっつけてくれたのは間違いなく彼女です

48のオタクを続けているとどんどん新しい子が入ってくる
NMB48の5期生が入ってきたのは2016年の秋頃だった
そのなかに清水里香がいた
彼女は同期の中では運営に推されてるメンバーではなかったがルックスは僕のタイプだったしとにかく明るかった
そんな彼女に通っていると友達ができた
彼らはみんな歳が同じくらいで服装にも気をつけていてあまりオタク感はなくつるみやすかった
彼らもまた握手会に全通するようなやつらだったので一緒に握手レーンに並んでいた。いわゆる連番ってやつだ
連番すれば自分の番じゃなくてもメンバーと話せたり得なことが多かった
僕らは毎回そんなことをしていたので握手会のときは幅を利かせていた
苦手なオタクの後ろにわざと並んでそいつの悪口をメンバーと話すとか
総選挙のシングルのときは投票しないけど握手券いっぱい買って独占するとか(このときは1人で100枚くらい買った)

僕らなりに楽しくやっていたがみんな年頃の男だったしそれぞれ自分の時間を大事にするようになっていた

同じ頃田野優花さんが卒業発表をした
2018年の8月、最後の握手会があった
それをきっかけに僕は48のイベントに行かなくなった

理由は何個かあった
田野さんの卒業で仲良い人たちはイベントに来なくなる
清水さんの方の友達はそれぞれの理由であまりイベントに来なくなった

清水さんは卒業するわけじゃないしオタクを続けることはできたが何より握手会場で1人でいることはなかなかしんどい
それに僕は口下手なのもあって握手会自体が得意ではなかったうえに48はとにかくライブが少なかったし(劇場公演は毎日のようにやってるが月1当たるかどうかだしNMBの場合大阪まで行かないといけない)同じことの繰り返しで飽きがきていた

これらの理由により48グループを離れることになる

そしてまた新たなグループを発見したのだった

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