レンズを通して日々と繋がっている
みなさんこんにちは、カワハラユウヤです。
福岡県のとある写真館にてカメラマンをやっております。
昨日はいつのまにか寝てしまっていました。
なのでこんな昼間に執筆です。
僕はカメラマン。レンズを通して世界を見ている
ほぼ毎日、平日は撮影があります。
秋というのは行事もたくさんあり、いつも忙しいです。
しかも、今年はコロナの休校で撮影できなかった分がこの時期にまで影響を残しており、プラスアルファで忙しい気分です。
実を言うと今日も撮影です。
ほんと、なんかいつの間にか予定表には撮影予定がびっしりなんですよね。
仕事が無い、というのに比べれば全然マシなことではあるんですが。
毎日そんなふうに撮影をこなしているもんですから、言ってしまえばレンズを通して世界を見ているようなものです。
「レンズを通して切り取られた世界」とでも言いましょうか。
この世界は明るさや長さなどが割と変幻自在で、時には魚眼でグニャグニャにすることもできちゃいます。実に面白い世界です。
カメラマンは、こうして撮影というもので人と交流し、世界と繋がっているのだなと感じます。
実はみんな、自分のレンズを通して世界を見て、それで世界と交流しているのだ
カメラマンは実際に目に見える形でレンズを通して世界を見ているんですが、みなさんも実はレンズを通して世界を見ています。
色メガネ、とも言われたりしますが、これは要するに「価値観」「偏見」「経験」などから、目の前の事象に対して自分なりの解釈をすることです。
例えば雨が降ったとして、それ自体はただ「雨が降った」という事実だけ。
これに、「ピクニックに行く予定だった」というものが加わると、「嫌な雨だ」という解釈になります。
一方でこの雨が乾いた土地に潤いをもたらす「恵みの雨」にもなり得ます。
「雨が降る」ということ自体は何も変わらない。
それに対しての解釈が違う。
こんなことは世界中、いつでもどこでも起こっています。
まずは物事をそのままで見て、そして自分の解釈する。この2段階が大事。
これ、最近思います。
起きたことに対して、自分の感情や偏見がすぐに入ってしまうと、物事を歪めて見てしまいます。
第二次世界大戦なんかも、「二度と戦争を起こしてはいけない」のはわかるのですが、「悲しい、良くない」ばかりでは意味がありません。
「なぜ起きたのか」
「どういう流れで起きたのか」
ここを知らないと、教訓になりません。
「戦争はダメ絶対、やってはいけないこと!」
では、解釈が足りないのです。
「薬物はダメ絶対!」だけでは、完全に止めることはできないのです。
まずは、起きた事実をしっかりと把握する。
事実を見て、原因を見て、流れを見て、そしてその後に「自分はこれはこうだと思う」と考える。
これらは少し訓練がいるものだと思います。調べる能力もいりますし。
でも絶対に役に立ちますし、変な方向に進まないです。
日頃のニュースからでもこの訓練はできます。
自分の経験から考えてもいいでしょう。
物事をそのままで見て、そして自分の解釈をする。
自分も一層努めていきたいところです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?