戦闘服を脱いだ話。

ド派手な服を年末から着ていない。
派手族を卒業して約半年。

以前は他者とうまく付き合っていけない自分を
守るかのように派手な服を着ていた。
話す前からあなたとは違うから期待しないでと
主張する気持ちがあったし、
みんな一緒でいることの何が良いっていうの?
という攻撃的な意味もあった。

そんな私が急に派手なファッションを
やめたきっかけは昨年末のとある晩のことである。
私にもそろそろ色気ってもんが
出てきてもいいんじゃないかと話していた時に
「無地の服着てみたら?」とアドバイス頂いたのだ。
そうこのたった一言。
今までなら聞けなかったアドバイスだけど
その時はやるべきだとなんか腑に落ちた。

次の日には早速GUへ駆け込み
無地のワンピースを購入。

これが案外しっくりきた。

あんなにも攻撃力と防御力を兼ね備えていた戦闘服は
もう私には必要なかった。
勝手に戦いを始めたけれど
終わらすよりも先に終わっていたのだ。
いや、最初から私だけが戦っている気に
なっていただけだった。

それに気づいた時パーン!と
目の前の景色が弾けるような感覚になった。
大切な事に気付くことができて
世界の見え方が180度ぐるりだ。

人と違うことを否定するのではなく
互いの違いを受け入れ合って
大切にしてくれる人たちと出会えたから。
戦いに行かなくても私には仲間と帰る場所が
もう出来たから。

だから私は戦闘服を脱ぐことができたんだと思う。

そして今日、
無地の服がしっくりくる理由にもう一つ気付けた。
いや、今日はじめて思った理由かな。

それはみんな一つだということ。

急にスピですかぃとツッコまれそうだけど
そう思ってくれても良いです!(キリッ)

木々の緑と私という人間は完全に別々ではないということにまず気が付いた。

私が吐き出した二酸化炭素を少なくとも吸ってくれているはずだし、その植物たちが咲かした花に虫がとまって受粉が行われたり、虫が枯葉を食べて土壌を整えていたり、そして虫を小動物が食べそれをまた大きい動物が食べ、、そして人間まで繋がってくる。

今日散歩している時にふと木が気になって観た時に
この食物連鎖を思い出したんです。
その瞬間、"個"にしがみつく必要性なんて
どこにもないんだとハッとした。

私はこの生態系の一部であり、
地球を構成するほんの一部に過ぎない。
社会ではなくこの宇宙規模で交わって生きる感覚が身についたから特徴的ではないお洋服でいたって
なんら悲しくないのだと思った。

自分でこのnote読み返してみたけど
我ながらとんでもない方向からの理由だな()

だけど本当に感じた話。

生きるって人間同士の関係では終われない。
もっと沢山の生命が
大きな規模で関わり合っていて今日がある。

なんだか着地がわからなくなったけど
色んなことに感謝して生きていたいな〜と
思う。

今日も無事生きている事に感謝。

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