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毎日の喜び

喜びを感じる瞬間があります。


仕事がうまく行った日
友人と分かり合えた夜

昨日までは蕾だった花たちが開いた朝
爽やかな風が吹いた瞬間

大小あれど毎日素晴らしいことが起こっています。

それに気づけるかどうかも重要だけれど
私は毎日している行為にも
喜びを感じられるようになったんです。

それは感謝を口にすること。
「ありがとう」という言葉。

語感が良いとか音として発することに
喜びを感じるわけではありません。
相手のしてくれたことをしっかり受け止めて
なぜありがとうと伝えるのかを意識した上で
「ありがとう」と伝える、
それを心がけ始めてから
自分の中で喜びが大きくなったんです。

何かをしてもらったり嬉しい言葉をもらったりしたから
ありがとうと伝えたはずなのに
気持ちを込めて言えていない場面って
結構あるよなぁとふと思ったんです。

たくさん口にする言葉だからこそ
流れで反射的に口にしてしまう。
それはありがとうという言葉が染み込んでいる
という意味では素敵かもしれないけれど、
しっかり相手の気持ちを受け取った上で
ありがとうと伝えられたなら
きっと伝わる気持ちが違うはずです。

何をしてくれたのか何を言ってくれたのか
それをちゃんと受け取り
心から感謝すると嬉しい気持ちは倍になるし、
言われた側もきっと嬉しい。

その気持ちの違いは言った本人にしかわからない
なんてことはありません。
言葉や声には"その人"の全てが乗ると
本業のナレーターをする上で教わりましたし
私自身実感があります。
なので気持ちをもって伝えることには
とても意味があることだと考えています。

ですが、「声にはその人の全てが乗る」ということは
良いことと悪いことのどちらにも言えるのです。

だからこそ普段から
素晴らしいものを感じ取れる心を持っていたいと
私は考えています。

そのためにもありがとうという言葉は
わかりやすく毎日できる事の一つなんです。
私は実家暮らしなので父や母にありがとうと
言わない日はないのですが、
コンビニの店員さん、バスの運転手さん、
生活の上でありがとうタイミングは
たっぷりとあります。

恥ずかしい方は徳を積んでいるんだと考えて
実行するでもいいと思います。
言わないより言う方が自分も周りも
気持ちのいい世界になっていきますから
決して浅ましくなんてありません。

ちなみに毎日できることといえば
「おはよう」や「いただきます」
といった言葉も浮かびます。

おはようなどの挨拶は対象がわかりやすいですが
「いただきます」はどうでしょう?

私はつい最近まで何に感謝しているのか
ちゃんと意識することなく言っていました。
(お恥ずかしい話です。。)

ですがよく考えてみると
私たち人間にとっての食事というのは
とても感謝すべきことなのです。

野菜たちが育つ土地、恵みの雨や日光、
動物や魚たちの命、それらが生きる海や山、
そして育てたり加工したりする人々。

沢山の手間暇をかけられた時間、
そして命という奇跡を頂戴して
私たちは日々生きることが出来るのです。

それらを見て見ぬ振りしたり
わかった気になったり
ましてや気付くことすらせずに生きてしまっていた。
私は知らないうちに傲慢になっていたのです。

野生的に生きるのではなく
文明が発達して社会ができてからというもの
人々は時間に追われるようになり
毎日をこなすことで手一杯になりがちです。

私自身忙しくなったり疲れてしまうと
周りにも自分にも優しさを持ち寄れず
一番大切なことを忘れてしまう時があります。

でもそんな時だからこそ
もっと人間の底にある感情に目を向けて
一つ一つ素晴らしいものやありがたさを
丁寧に感じ取りたいのです。

まだまだ未熟であると自覚しているからこそ
じっくりと時間をかけながら
私は私の魂を成長させていこう。
愛とリスペクトをもって生きよう。

詩織

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