1月12日(巣ごもり五日目) Born to Run

昨日の晩から天気の崩れが気になっていました。今日はGregコーチから走るように指示されていたのですが、雪が降ったらつらいので。朝の天気予報では都心部での雪はなくなり、昼から小雨ということでした。雨ならランニングは中止かなと思っていたのですが、次の富山県からのニュースで考えを改めました。テレビ映像は雪の富山湾に集結した褌姿の一群の男子を映していました。彼らは気合一発、海に駆け込み、頭を水上にのぞかせながら、ゆったりと水を切っていました。古式泳法の初泳ぎだったのです。やがて、陸に上がった河童たちは焚き火の周りに集まり、寒風の吹くなかを腰布一枚の姿に寒さをまったく感じさせない様子でインタビューに答えていたのです。少々の雨を恐れて服に身を包んだランニングすら恐れていた自分が恥ずかしくなりました。気持ちを新たに、雨が降っていたとしても走ることにしました。

ぼくにとってのニューノーマルの模索はランニングから始まった。もともと、ぼくがランナーだったわけではない。むしろ、ランニングは嫌っていた。ダイアモンド・プリンセス号の乗客がまもなく下船するという昨年二月下旬のこと、久しぶりに走ったきっかけは富士山だ。三浦半島のある宿舎に合宿して国際ワークショップに参加していたとき、夜の飲み会で誰かに「明日の朝、富士山を見に行かないか」と誘われた。なんでも丘の上になる宿舎から数キロ走って港に下れば、海の向こうに富士山が見えるらしい。その場は、適当に逃げたものの、翌朝、早起きをしたついでにカーテンを開けば、見事な朝焼けだった。「これはサインだ!」水を一杯、ひっかけ、革ジャンをはおり、運動靴をはいて港を目指した。地理はよくわからなかったが、どうせ坂を下ればいつか海に出るだろうと思いつつ、軽く走った。やがて、港につき岸壁から海越しの勇壮な富士山が見えた。単に走れと言われると、嫌な気持ちになるものだが、「朝焼けが見えるうちに海に出よう」とか、「朝食の時間に間に合わないぞ」と言われると、運動に伴う苦痛は消え去り、頭のなかで富士山、富士山、ご飯、ご飯の連呼が始まると、走ることが苦ではなくなるのは不思議だ。

第一次緊急事態宣言で、個々人が相互に3メートルの距離をとり、密を避け、それでいて自由と開放感を味わおうと思えば、できることは限られる。散歩かランニングくらいだろう。ぼくの場合は散歩だった。自宅から30分も歩けば、多摩川沿いにさまざまな景色を楽しむことができることを発見した。六郷に流れる清涼なせせらぎ、ふたつの前方後円墳を含む古墳群、かつて巨人軍が練習に利用していた野球場、自然のまま残っている河岸、整備された50kmのジョギングコースなど。身近に知らない土地がたくさんあったものだ。多摩川越しに隣の川崎市の土地が見える。肩の強い人なら石を投げれば届くだろう。そこにも、ぼくと同様に散歩を楽しむ人々がいる。でも、都道府県間の移動を禁じられている緊急事態宣言下ではそこはぼくには禁じられた土地だ。向こうの彼らにとっては、ぼくがいるこちらの河岸が禁じられた土地にあたる。

人間の走ることへの衝動を描いた名著に Christopher McDougall の Born to Run: Hidden tribe, Superathletes, and the Greatest race that the world has never seen がある。この本のことを知ったのは、食事に出かける途中に聞いていた National Public Radio での対談番組だ。詳しいことは覚えていないけれども、イヤホンから聞こえてきたのは McDougall の以下のような言葉だった:

サバンナに朝がやってきた。草原のどこかで目を覚ましたレイヨウは思う。「今日もサバンナで一番足の速いライオンより速く走らなくちゃ。」同じころ、草原の別の端で目を覚ましたライオンが思う。「今日もがんばって走って、サバンナで一番足の遅いレイヨウを掴まえなくちゃ。」
で、そのサバンナで生まれて大きく栄えたのがヒトなんだけれど、理由はわかるかい?
そう、ヒトはサバンナで一番足が速かったんだ

最後の一言にぼくは痺れた。(でも、にわかには信じがたい!)そして、レストランで食事を注文してすぐに電子書籍を購入してむさぼるように読んだ。

ランニング中にしばしば怪我に悩まされた McDougall は、膝の故障をもたらさない靴と走法を探す旅に出かける。多くの医者、スポーツ指導者、スポーツグッズの会社を訪ねる。あるとき、メキシコの麻薬取引の危険地帯のあたりにいるという「走る民族」の噂を耳にし、彼らを訪ねるところから彼の本当の冒険が始まる。Tarahumara 族は子供も老人も噂に違わず、日常的に数10キロを走っている。それも、自動車のタイヤを切り裂き、紐を結わえてつくった粗末なサンダルを履いて。ゴツゴツとした土地を軽やかに走る彼等の姿を見、その自然な走りの合理性を学ぶにつれて McDougall の頭にある考えが浮かぶ。彼らにウルトラマラソンに出場してもらったらどうだろうか。彼は興業師と組みロッキー山脈で開催される大会に数名の Tarahumara 族のエリート走者を送り込んだ。その結果が 1-2-3 位独占だった。彼らの偉業は、ランニングシューズとランニングスタイルの常識を覆した。それまでの分厚いクッションに「守られた」、踵から着地をするダイナミックだが膝への負担が大きな走りから、クッションがまったくない固いゴム底のランニングサンダルをはき、爪先で着地しながらピッチの速いペタペタとした走りへの転向だ。

何よりも僕の気持ちを動かしたのは、先に紹介したサバンナの話だ。サバンナ最速の生き物だったから、ぼくらの先祖はアフリカで生き延び、今日のように地上で繁栄している。ヒトの本質をつきつけられると、自分のなかにも残っているであろうヒトの本能を探してみたくなる。

ウルトラマラソンに比べれば小さな目標だが、遠くに見える二子玉川のビル群までこの足で行ってみたい。あの飛行機が発着している羽田空港までこの足で行ってみたい。鉄道の繋がりの悪い、大森までこの足で行ってみたい。自分の実家の両親をこの足で訪ねてみたい。そんな思いに突き動かされて、ぼくは自分なりのニューノーマルに一歩を踏み出した。



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