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「梅見」

 九州に住む、友人の三木さんに聞いた話。

「梅を見に行かない?」
 高校からの帰り、母が唐突に言い出した。当時彼女は隣町の学校へ通っており、職場の近い母が車で拾って帰っていた。
 母子家庭で、保険会社に勤め平日は忙しく、休みの日は倒れるように眠る母である。明るくて強い人だったが、滅多にどこかへ連れて行ってもらうことはなかった。「お弁当もあるしさ」後部座席を見ると、どこで都合したのか風呂敷に包まれた重箱が置かれていた。

 彼女の家から10キロほど離れたところに小山があった。頂上部分に展望台があり、そこで母は車を停めた。
 既に時刻は6時を回っており、辺りは暗くなりかけて、他に車は無かったという。お母さん本当にここに花見?と聞くと、着いてきてと微笑んで、母は登山道を降り始めた。

 丸太を横にした急な階段を5分ほど降ると、少し開けた場所に出た。なだらかな摺鉢状に眼下へ斜面が広がり、斜面の先には薄暗がりの先に市街が見えていて、春先の少し冷たい風が心地よかった。

「ここだよ」先を歩いていた母が彼女を呼んだ。そちらに目をやると、数件の建物があった。おそらくは峠の茶屋というやつだろう、簡素な平屋が並んでいた。既に明かりは落ちて雨戸は閉ざされている。軒先に置かれたままの赤い布の掛けられた縁台に、母は腰を下ろしていた。

 母の頭上に、一本だけ梅の木があった。高さは3メートルほどあるだろうか、その全体が薄桃色に輝くように咲いていて、夕暮れの中でその部分だけが妖艶に浮き立っているように見えたという。
 確かに美しい、ぞくりとするような梅だ。母はきれいでしょうと言いながら弁当を広げ、水筒からお茶を二つ注いでいる。
 
 自分もその横に座った。梅の甘い香りが漂ってきた。縁台の布は少し湿っているような気がした。
 ふと目を上げると、いつからか、眼前に提灯が灯っていた。和紙でできた丸い朱色の提灯が、2メートルほどの間隔を空けて掲げられていた。
 
 辺りは本格的に暗くなってきている。
 さっきまでこんな提灯無かった……。三木さんは立ち上がり、提灯に近づいた。木柱に鉄線を渡して、その下に掛けられている。その光源はどうやら蝋燭のようで、弱々しい明かりが揺れていた。
 左右を見渡すと、提灯はずっと遠くまで、一直線に連なっていた。
 山道であるからどこかで曲がったり、そもそも自分達が降ってきた登山道は急勾配であったはずなのに、その提灯は真横に、その先が見えなくなるまでずっと続いていた。

 そもそも突然花見をしないかと言い出した母もおかしかった。しかし暗がりの中、幾千の提灯のぼんやりとした柔らかい光はなんとなく暖かで、ずっとここに居たいような気もしていた。違和感を覚えていない様子の母に合わせるように食事をとった。

 その後、完食をまるで待っていたかのように、いつの間にか提灯は消えていたという。


 それから10年ほど経って、母にその日のことを覚えているか尋ねたそうである。母は思案した後、あれは職場の人から聞いた場所だった筈だと言った。
でもあの梅の木はなんか変だった、と母親は付け足した。風が吹いたら、花びらじゃなくて花がそのまま落ちたんだよ。椿みたいで気持ち悪かった、と言って笑っていたという。

三木さんから聞いた話。

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