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「足」

友人から聞いた話。彼を篠原くんとする。

 篠原くんは全国転勤の頻繁な職業についている。仙台で働いていた頃に住んでいたのは郊外のワンルームマンションで、前任地にいるうちに下見をせず決めたという。
 とはいえ築浅で明るい雰囲気のマンションには満足しており、元来細かいことを気にしない彼なので、そのマンションに住んでいる間に起きた細かい違和に、初めのうちは気づかなかった。

 ある日、仕事から疲れ切って帰宅した深夜、テーブルの上に箸が転がっていた。コンビニや店屋物で済ませる彼にとって、箸は持っているものの殆ど使用しなかった。
 別の日、また遅くに帰宅すると、テレビやエアコンのリモコンが全て伏せて置かれていた。自分が置いたかと思案したが、わざわざボタン面を伏せる理由もないので、その頃から妙だなあと思っていたという。

 暫くした真冬のある夜のことである。毛布や羽毛布団に埋もれるようにして眠っていた彼は、何かが顔に触った気がして目を覚ましたそうである。
 隣の公園の電灯の薄明かりの中で天井を眺めた。ベッドの脇に、あたかも誰か立っているような気がしたが誰の姿もなかった。
 
 トイレに行こう、と上半身を起こした時である。
 自分の足元、何重もの掛け布団の先から、小さな足が2本、はみ出していた。

 寝ぼけた頭で、一瞬それは自分の足だと思った。
しかし自分の足は、まさに布団の中で毛布に包まれている。
 眼前のその小さな白い足は、爪先を天に向けて微動だにせずはみ出していた。篠原くんの視点からは、足の甲までしか見えない。明らかに自分が今いる布団からつま先だけをはみ出して寝ている、おそらく子どもか女性の、ほっそりとした足だったという。

 不思議な時間だった。恐怖よりも、「何これ?」という感情があった。シングルベッドの中には自分ひとりの感覚しかなく、当然布団には誰かが隠れているような膨らみもない。前日誰かを連れ込んだわけでもない。

 これが幽霊かあ、そうすると今までのあれもこれも、説明が着くのかなあ。

 今トイレに起きたとして、この幽霊に気づかれるのだろうか。何となく心地よく寝ているだけの気がする。

 思案していると、足は突然ずるりとベッドの下に落ちた。
 2本の足はそれぞれがばらばらに、足元のベッドの段差をずり落ちて見えなくなったという。それは突然人間の骨格を失い、まるで蛇のようにするすると動いたという。

 不気味に思いつつ、そのコミカルな動きに恐怖は無かった。大学時代に剣道で鍛えた彼は、「フィジカルで負けなければ大丈夫」と事あるごとに言っていたが、今回もその自信が背中を押していた。

 トイレを済ませて寝室へ、するとまたしても毛布から足が伸びていた。

 目を凝らしたが、やはり小さなほっそりとした可愛らしい両足が、今度は自分に裏をむけて横たわっていたという。
 からかわれているなあ、と思った。


「寝るから邪魔しないでね」と一応の声をかけ、そのまま眠った。

 以来一度も、その足は見ていないそうである。

 篠原くんから聞いた話。

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