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蜃気楼


 友人の田丸くんから聞いた話。

 田丸くんの実家は先々代から続く土木工務店である。
 先々代のお爺さんが、繰り返し語ってくれたという体験談のひとつ。

 お爺さんを正治さんとする。戦前のある春のこと、仕事帰りの日中、自宅まで続く一本道を歩いていると、遠くの景色が蜃気楼のようにゆらゆらと蠢いている。夏でもないのになと思い訝しんでいると、小さく「おーい、おーい」と聞こえ、次いで手を降っている男の姿が、その蜃気楼越しに見え始めた。

 男の服装は遠目からは黒っぽい薄汚れたものに見えた。腰の辺りから上がゆらゆらと曲がっており、振られた手も細長く伸び切っている。
 その手をふる速度もまた奇妙であった。声はしきりに、おーいおーいと呼びかけるが、その手はゆっくりと左右に大きく振られている。まるで大きな時計の振り子が、上下逆さに付いているかのような動きだった。

 さらにその頭部、手をふる男には首から上がないように見えた。左手は相変わらず大きく振られ、まるで関節が外れているかのように肩から真上へ振り上げられている。

 正治さんは気味悪くもあったが、見間違いかもしれないと思い、そのまま近づいた。

 しばらく進むと蜃気楼は消え、いつもの自宅周辺の風景が見えた。いつしか男の姿は見えなくなっが、その代わりに道に横たわるものがある。


 土佐犬と思われる大きな犬の死骸が一体、横たわっていた。
 色艶も良くがっしりとして外傷もなく、今にも動き出しそうな程であったが、開かれた眼球はぴくりともせず、道の真ん中でだらりと舌を伸ばしていたという。

 辺りを見回すが、周囲はタバコ畑が広がるばかりで、身を隠す場所も無かった。




よく分からない話。

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