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「いい人」

 大阪でSEをしている、前島から聞いた話。
 前島が深夜まで残業をしていると、内線電話が鳴った。既に十時を回った時計を見ながら首をかしげつつ電話を取ると、少し遠くから、男の声が聞こえたという。
 前島が受信機の音量を上げ名乗ると、相手は「開発4課のシラタさんをお願いします」と告げた。

 入社後まだ日が浅かった彼は、手元に職制表を取り寄せた。
しかし、開発4課という名前の部署はなく、似たようなものもない。シラタさんという名前にも覚えがなかった。
 再び耳元に受話器を当て、折り返すので所属と名前を教えてほしい旨を伝えようとした。

言ったか言い終わらないか、
「シラタさん、いい人だったのに。いい人でしたよね?」
と、相手の男がぼそりと呟き、そして切れてしまった。


 見渡したフロアには数人が疎らに残っているだけである。津村さんという先輩が残っていたので、電話のことを話した。

 あー、暫くご無沙汰だったなあ。津村さんは頭を掻いて、この忙しい時にと舌打ちしながら、内線電話を取った。そばで立っている前島にも、コール音が聞こえる。ややあって、”お客さまのお掛けになった・・”という自動音声が流れた。
 「おーい。シラタさんならもういらっしゃいませんよー、忙しいんだからやめてくださいね」
 やんわりと、しかし明らかに苛立ちを相手に伝えるトーンで津村さんは一方的に告げ、乱雑に受話器を置いた。

「10時を回って内線が鳴ったら、5コールは待つように。相手が今のやつならそれで切るし、それで止まないなら、リアルだ」 
それだけ言うと、彼女は仕事に戻ったという。

 後に別の先輩社員から、シラタさんは20年ほど前にいた社員だったが、家庭の事情で退職後、すぐ亡くなったと聞いた。開発4課というのも当時の職制だったそうだ。 

 それからも度々、10時を回ると電話が鳴った。ある時など、誰も取ろうとしない電話を、たまたま来阪していた上役が取り、「名乗りたまえ!君はどこの誰だね!」と、声を荒らげていた。
 役員は数日後、当日フロアに残っていた社員に対し、何故か奨励金と称して数千円を渡してきた。

既に前島は転職しているが、転職先でも夜中の電話には身構えるという。


前島から聞いた話。


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