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専門学校補欠入学のPTが、これが天職と感じるまでのお話

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ブラックマンデーに翻弄され、行きたくもないリハビリの先生(理学療法士)の専門学校に補欠で入学したヤクザの息子。このバカPT学生が、日本で二人しかいない特殊な理学療法士となり、セミ…
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記事一覧

⑧ 後日談

まぁ色々書いてきて「俺」は、この仕事が天職だぁ!なんて吠えたわけです。 楽しいし、やり甲斐…

Healer.Ken.W
4年前
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⑦実際どのように天職になったのか

カイロプラクティックの大学を出てから、ずっとカイロプラクティックとリハビリの統合を目指し…

Healer.Ken.W
4年前
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⑥カイロ大学を卒業し、理学療法士の世界に戻ると

カイロプラクティックの大学での5年間が過ぎ、地元奈良に帰ってきてすぐに就職活動を始めた。 …

Healer.Ken.W
4年前
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⑤カイロプラクティック大学時代

40歳まで5年間大学で勉強した。楽ではなかった。結婚もしていたし、家のローンもあった。これ…

Healer.Ken.W
4年前
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④病院を辞める直前~理学療法士の世界に絶望するまで

カイロプラクティックを学んだ「俺」は、臨床現場でカイロプラクティックの検査やテクニックを使…

Healer.Ken.W
4年前
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③理学療法士復帰~再び辞めるまで

地元で自宅に近い病院で再就職した「俺」は、毎日必死で働いたが、いかんせん知識不足、技術不足…

Healer.Ken.W
4年前
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②病院を辞めて~下着の営業時代

3月の4週目から「俺」は、病院で働き始めたが、もしかすると5月に働けなくなるかもしれなかった。国家試験の合否の発表が5月にあるからだ。落ちていれば、何事も無かったかのように静かに病院を去らなければならない。「俺は」無事に合格していた。 最初の職場はとても楽しい職場だった。明るく人間関係に全くストレスのない職場だった。思い返せば多くの事を学んだ職場だった。「俺」の担当患者さんを初めて亡くして、衝撃を受けたのもこの職場だった。 ガンの末期の患者さんだった。当時の主治医の方針で

補欠入学~就職まで

たまたま出会った仕事が転職となった「俺」。 1987年「俺」が高校3年の10月19日に史上最大規模の…

Healer.Ken.W
4年前
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