見出し画像

自分の家族が機能不全家族だったという話(第一話)

私は、一月末に自分の家族と絶縁いたしました。
決定的だった一言は、「私は(わさびを)産んじゃったから。私たちの時代は産む以外の選択ができなかった。」です。
これを言われた瞬間、頭が真っ白になりました。そして、時間が経つにつれて次第に腹が立ってきました。
だから、LINEで絶縁を言い渡しました。
「自分が(私に対して)何を言ったのか分かっているのか。謝ることもできないのか。産みたくなかったとか言ってるけど、産んだのはお前らの責任だろうが。こっちは好きで生まれたんじゃねえよ。産みたくなかったなら堕ろすなり避妊するなりしろよ。実家のカギは返すのでもう二度と連絡しないし、してくるな」というメッセージとともに縁を切りました。
本当は、面と向かって言ってやりたい気持ちがありました。
正直な話、たぶん私は怖かったんだと思います。
小学生の時、反抗的な態度をとれば叩かれる上に、蹴られましたし。
私は、「これをやりたい!」という気持ち、「これはやりたくない。」という気持ち、「しんどい気持ち、つらい気持ち」…何もかもを全否定されて育ってきました。
だから、この毒親には何言っても無駄だと心の奥底で思っていたんだと思います。

これから、何話かに分けて私自身の体験談(毒親、機能不全家族)について
書かせていただきたいと思いますので是非読んでいただけたら幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?