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『塔』2024年2月号より⑥

『塔』2024年2月号の作品2から、気になった歌をあげて感想を書きました。(敬称略)


息尽きて静かに眠る老い母のいくつも残る床ずれの跡
/小倉滋彦

p126

亡き母の身体に残る床ずれの跡を見て、生前の母の痛みや苦しみに思いを巡らせる。
そこには、もはやどうすることもできない無力感や、後悔もあるのかもしれない。


万年筆を貸せば生徒は蜉蝣を飛ばせるごとく名前を書けり
/鈴木健示

p128

教師である作者が、生徒に万年筆を貸したのだが、生徒は使い慣れていないため上手く書くことができない。
近年は万年筆を使う人はまれであるから、生徒もおそらく初めて握ったのだろう。
その書かれた字を「蜉蝣を飛ばせるごとく」と喩えた。
蜉蝣(カゲロウ)は飛ぶ力が弱く、ゆらゆらと浮遊するように飛ぶ。
そんな弱々しい筆跡が想像できる。


ひさかたの月の桂のマンションにトラック二台で引っ越してゆく
/大井亜希

P139

おそらく京都の地名である「桂」へ引っ越しをしたのだろう。
その「桂」にかかる枕詞として「ひさかたの月」が使われている。
「月の桂」は中国の伝説で、月の中に生えているという丈の高い桂の木(広辞苑)で、「ひさかた」は「月」に掛かる枕詞だがら、この歌では二重に枕詞が使われている形だ。
この「ひさかたの月の桂」から始まる和歌はいくつかあるようだ。

ひさかたの月の桂も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらむ
/壬生忠岑

『古今和歌集』

掲出歌では、引っ越し後の新しい生活が始まるにあたっての高揚感がうかがえるとともに、かぐや姫が月へ帰ってゆく幻想的な場面も思い出される。



嫁ぎ来て夜の暗さに慄けど道を照らせる月の明るさ
/加住えり

p140

作者の嫁ぎ先が街から離れた土地で、夜は想像を超える暗さだったのだろう。「慄けど」にその驚きと怖れがが表れている。
作者の生まれ育った場所とは、風習も違っていたのかもしれない。
そんな心細さが感じられるのだが、下句ではその暗い夜道に見た「月の明るさ」の感動が詠まれている。その月の明るさは夜の暗さがあってこそ気づくことができるのだ。
慣れない土地で不安な作者を勇気づけるような月の明るさ。
映像的にも美しい一首である。



着信音鳴ればもしやと思へども冥界までは交信できぬ
/向井ゆき子

p144

作者が「もしや」と思ったのは、亡くなったはずの友からの電話ではないかと感じたからだ。
生前はよく電話のやりとりをする関係だったに違いない。
実際にそんなことがあればホラーだが、この作者の気持ちもわかるような気がする。まだ友人がなくなったという実感がわかないのだ。
とっさの場面での作者の心の動きが詠まれているが、二人の深い関係性もうかがえ、さびしくもどこか温かみも感じられる。



今回は以上です。
お読みいただきありがとうございました。

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