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「結社はどこへ向かうか」を読んで


令和6年版『角川短歌年鑑』の特別座談会「結社はどこへ向かうか」を読みました。結社の魅力と課題が各結社の違いを挙げながら語られており、興味深いものでした。現在の結社にとっての一番の課題は会員の高齢化でしょう。私は今年結社に入ったばかりですが、この点について思うところを書いてみます。今は短歌ブームと言われており、若者を中心に広がっているようですが、短歌は作者の年齢が上がれば上がるほど相性がよいとも感じています。

私は現在40後半ですが、ある程度は老後を見据えて短歌に親しんでいます。それまでは仕事に明け暮れる日々でしたが、40代に入りある程度人生の見通しが立ったとき、この先何か打ち込めるものがあればと考えていました。短歌に出会ったのはその頃です。そして今年になってから結社に入りました。


時代の流れとともに、人と人との繋がりが希薄になりつつありましたが、コロナ禍がそれをさらに後押ししました。元々人付き合いが苦手な私にとっては、人間関係のストレスが軽減され、より楽になったという側面もあります。ただ、長い目で見たときに一抹の寂しさも感じることがあり、それも考慮して将来に向けて先手を打ったと言えます。もちろん短歌そのものにも魅力を感じていますが、歌を詠むこと以外にも大きなメリットがいくつかあると考えています。


その一つは知的好奇心が満たされることです。常に何かを学びたいという気持ちは持っており、読書も好きなのですが、必要以上の情報が溢れる現代ではテーマを絞り込まないと、とりとめがありません。またひとりで学び続けるには何かモチベーションがないと難しいと感じています。
その点で短歌は都合が良いです。他人の歌を読む際には知らない言葉や事柄を調べる必要があり、自ずから知識は増えていきます。またお互いに自分の詠んだ短歌を読み合うことで他人の視点が意識され、モチベーションが持続しやすいのです。


二つ目に、集まる場があることが挙げられます。コロナ禍により人が集まる機会が急激に減少しました。短歌においてもオンラインで歌会やイベントが行われることが増えました。それは便利ではありますが、対面での交流とは本質的に異なります。対面ではその場の雰囲気を肌で感じること、感情のやり取りができる点においてオンラインに勝るものがあります。また、移動が必要なことはデメリットに見えますが、実はそうとばかりも言えません。特に高齢者になると、外出する機会がないと次第に引きこもりがちに傾向があります。電車を乗り継いで自分の足で現場に向かうのは苦労ではありますが、自ら出掛けて人と会うことは体力的にも精神的にも長期的には有益でしょう。必ずしも短歌なくともよいのですが、各々がこういった場を持つか持たないかで、老後の人生に大きな影響を及ぼすと思われます。

最後に、人との繋がりを築けるという点です。多くの人に出会えることは大きな魅力です。また、短歌では、特に結社において、基本的にお互いに歌を読み合います。自分が詠んだ歌を他のメンバーに読んでもらい、他の人が詠んだ歌に対して感想を述べる場であることが、結社の重要な役割のひとつでしょう。対面でなくとも、結社誌上で歌を読み合うことで、お互いの顔を知らずして分かり合える瞬間があります。こうした人と人との繋がりは何物にも代えがたいものです。


現在の短歌ブームを担うのは若い世代のようですが、それらの人々の多くが結社に入るとは思えません。同世代の人々で集まった方が共感しやすく、楽しさも増すからです。ただ、SNSで知り合った人たちが集まり、歌会を行うこともあるようです。ここでも対面での繋がりが求められています。また大学の短歌サークルも盛んだと聞きます。若い世代もやがては歳をとっていきます。現代は「人生百年時代」と言われますが、老後をどう過ごしていくのかは全ての人にとっての問題です。学びや交流の場があるということは、今後ますます価値を持つものとなってゆくに違いありません。
必ずしも短歌や結社の未来は悲観的なものではなく、さらに発展する可能性もあるでしょう。(完)


お読みいただきありがとうございました。
「だ・である調」で書いたらあまりにも偉そうな文章になったので、
「です・ます調」に直してみました。


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