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塔11月号③ 作品2より

『塔』2023年11月号の作品2、永田淳さんの選歌欄より気になった歌をあげて感想を書いてみました。(敬称略)


防具のように黒い日傘を押し開きゼブラ眩しき横断歩道ゆく
/縣敦子

塔11月号p132

かつては、日傘と言えば、白の薄い布地の素材のものが一般的だったが、近年の強烈な陽射しに対しては、これらの日傘では十分な対策とは言えなくなってきたようだ。
そこで作者が使用しているのが黒い日傘。
おそらく紫外線を防ぐために厚い素材が使われているのだろう。
これはまさに防具と呼ぶのにふさわしい。
「押し開き」という表現にも以前の日傘のイメージにはそぐわない力強さがが感じられる。
下句では「ゼブラ」が効いている。
ここでの「ゼブラ」は「ゼブラゾーン」、つまり横断歩道を指す言葉だが、おのずとアフリカの広大な大地を駆ける縞馬のイメージも浮かび上がる。
これに加えて、日傘の黒、さらには横断歩道の白線の下から浮き出るアスファルトの黒色が重なり合い、真夏の暑苦しさを演出している。



ベランダに「新日本プロレス」のシヤツ吊るす不審者よけと娘(こ)にわたされて
/唐木よし子

塔11月号p135

・同居していた子供たちが巣立ち、今は女性の一人住まいをしている作者だろう。
その母親を心配して娘が渡したのが「新日本プロレス」のおそらくTシャツ。
これをベランダに吊るしておけば、筋肉質の若い男性が住んでいるかのように見え、不審者も忍び込むことはないだろうとの娘の気遣いだ。
うーん、これは事実なのか。それとも巧妙に設計された完成度の高いネタのようにも思えるが...。
息子ではなく娘だという点がシュールだ。
さらに、趣のある6首の一連のなかにこの一首が置かれているのも味わい深い。


セミをとりセミをはなした夏の日は小二の少女の絵日記の中
/上月素子

塔11月号p136

・一読して気づくのがリズムの楽しさだ。
「セミ」「セミ」、「しょう」「しょう」が繰り返され、韻を踏んでいる。
思わず何度も口ずさんでしまう歌だ。
「絵日記の中」と体言止めの歯切れのよさにもインパクトがある。
歌の意味としては、「セミをとりセミをはなした夏の日」のことを書いた、小学二年生の少女の絵日記を読んだ、ということだろう。
では「小二の少女」とは誰なのか?
いくつかの読みが考えられるが、ここでは主体が少女だった頃に書いた絵日記を読み返し、当時のことを回想しているのだろうと解釈した。
すると「セミをとりセミをはなした」が実際の蝉取りの話だけでなく、象徴的な意味合いを帯びてくるように感じられる。
楽しくも、どこかせつなさをもって胸にせまってくる不思議な魅力を持った歌だ。


街路樹の枝の緑に囲まれて青信号が涼しげに咲く
/さつきいつか

塔11月号p136

・初句から読みすすめると、緑豊かな街路樹が浮かんでくる。
初夏の風に揺れる青葉に囲まれた交差点の青信号、その風景のイメージが出来上がった先の結句、「咲く」に驚いた。
「信号」「咲く」という語には全く新しさはないのだが、
「信号」が「咲く」、この組み合わせには意外性がある。
「咲く」が結句の最後の2音であることにより、さらに落差が生まれており印象を強くしている。
そう言われてみると、無機質な信号にもどことなく親しみが感じられるような気がするのが不思議だ。
動詞の工夫によって、何気ない風景を新鮮な歌として成立させている。


インターホン押せば聞こえる歓声と夫の声なりホームランかも
/長谷川博子

塔11月号p138

ユニークな場面が詠まれている。
帰宅して鍵を開けてもらおうと自宅のチャイムを押す。
すると夫の声と、その奥からなにやら歓声がインターホン越し聞こえてきた。
どうやらテレビの野球中継の音らしく、その盛り上がり様からこれはホームランが出たのでは、と作者が推測する場面が描かれている。
日常の小さな瞬間を見事にとらえた楽しい歌である。
結句「ホームランかも」に作者のこの出来事を好意的に受け止めていることがうかがえる。
面白いのはこれが電話ではなく、ドアと廊下を挟んだ近い距離にもかかわらず、インターホン越しで行われたやり取りであるというシチュエーションだ。
また、玄関へ入って種明かしをするのではなく、ドアの外で歌を終わらせている構成も巧妙で、読者が主体と同じ目線で体験できるような仕掛けがなされており、そこから瞬間の臨場感が生まれている。



今回は以上です。
お読みいただきありがとうございました。


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