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『塔』2024年6月号より①

『塔』2024年6月号から、気になった歌をあげて感想を書きました。
(敬称略)

芋粥を嘔吐するまで食わされしそのように桜、さくらが覆う
/吉川宏志

p4

・桜の花びらが散って、水面を覆っているのだろう。そのような風景を美しいと詠みがちだが、負の印象で受け止めている。
それにしても上句の比喩の過剰さには驚かされる。何らかの作品が下敷きにあるのかもしれない。

白木蓮の光が人に降るま昼もういい歳だわたしの子ども
/朝井さとる

p7

・印象的で味わいがある一首。
成長した子に対する複雑な思い、そして子育てをしてきた歳月への感慨が込められているのだろう。

力強きタンギングで入る楽章のああこの強さは筋肉が作る
/小川和恵 

p10

・おそらく作者は管楽器の経験があるのだろう。
「筋肉が作る」には演奏者ならではの実感のこもった捉え方がある。
歯切れの良いリズムも印象的な一首だ。

谷川の翅果に朝の光(かげ)満ちて橋の向こうへこの世のつづく
/竹田千寿 

p16

・「翅果」は「翼果」とも言いカエデなどプロペラ状の植物の実のこと。
美しい表現で詠まれているが、下句を読むと川によりこの世が途切れているかように錯覚する。
あるいは作者は川向うを彼岸のように捉えているのかもしれない。


我よりも寿命の長い電球に照らされており静かな夜に
/中山悦子 

p93

・電球は生き物ではないので比べても仕方がないのだが、「我よりも寿命が長い」と言われると寂しさが滲む。
作者のどこかに心細さがあるのだろう。


漆黒の羽根にちひさき虹乗せて鴉飛び立てり冬の光に
/古堅喜代子 

p94

・艶のかかった鴉の羽根は「鴉羽色(からすばいろ)」や「濡羽色(ぬればいろ)」とも言うらしい。
青や緑、紫などの混ざった光沢があるが、それを「虹乗せて」としたことで印象的な一首となった。
厄介者のイメージのあるカラスだが、ここでは幻想的な雰囲気がまとう。
結句の「冬の光に」も巧い表現。


岩壁に打ち寄する波白々と動くともなき亀の手洗ふ
/吉岡洋子

 p95

・ダイナミックで大きな場面の映像から、結句では「亀の手」という小さな箇所に焦点を当てた。
そのカメラワークが斬新であるとともにどこかユーモラスでもある。
景色が見事に表現されている。

ロッカーの上に積まれた掛け時計くるったままでそれでも動く
/山名聡美 

p96

・掛け時計が遅れているだけなのだが、どこか不穏な印象を受ける一首。
おそらくその時計と人間が働く姿を重ね合わせて読んでしまうからだろう。下句の素っ気ない言い方が、心身を病んでもなお働きつづけなければならない社会の厳しさを暗示しているようだ。

山国を特急列車で上りきて桃は次第に満開となる
/加茂直樹 

p96

・列車で長い距離を移動しながら、ある地域では咲いていなかった桃の花が、やがて満開となってゆく景色を車窓から見たのだ。
場所を移動しているだけでなく、時間の旅をしているような不思議な感覚が得られる一首である。


死ぬまでにしたかった兄弟喧嘩 毎日伸びて剃るだけの髭

もしそばにいるなら頼りない兄と罵られても許してやるのに

春の日に花が噴き出すように咲く一人っ子だと言われ続けて

/大橋春人 p98 p99

・風炎集の連作「水の子供」より。
まだ幼いころに亡くなった弟への思いと、もし弟が生きていたらどうだったのだろうということへの想像によって連作が編まれている。
掲出歌の1、2首目のように兄弟でのいさかいの場面を想像しているあたりが印象深い。
また身体感覚や、生々しさのある表現が含まれる歌もあり、弟への思いが深く感じられる連作である。


今回は以上です。
お読みいただきありがとうございました。

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